イエス様の物語(1)~夜明け前~

聖書の物語

夜明け前

「夜明け前が最も暗い」古くから人々はそういいました。
夜空を彩る星々も眠りにつき、夜空はただ暗い闇の闇だからでしょうか?
あまりにも長い夜の暗さに光を待ちわびる心が募るからでしょうか?

奴隷から解放されてあの紅海を渡り イスラエルの地に戻ってきて1400年が過ぎていこうとしていました。

か弱き乙女、イスラエル


イスラエルの中心的な場所、エルサレム、
その名は平和の都という意味ですが、平和になることをこい願う場所でしかありませんでした。

イスラエルは、北から南から、四方八方を大国に囲まれていましたから、
”この世界の覇者となろうと思うのなら、この地イスラエルをその手におさめるべきだ”
といわんばかりに、イスラエルの国と民を奪い合いました。
イスラエルの国は、軍事力も弱く、小さな国で、あちらへこちらへと振り回されて、あちらからこちらから、税をむしり取られ、侵略された国からの苦しみは大きくなるばかりです。
ただ神様を愛する民族であるという誇りが彼らの心の支えでした。そうして、神様が送られた預言者たちが預言した「メシアの到来」を待ち望む心は深くなりました。

メシアと呼ばれる王は火と剣を持ってきて、悪なるものをさばいて懲らしめる、そして神様を信じて待っていた人たちは救われて、この地上で平和に豊かに暮らせるようになる、と伝えられてきました。
神様を信じない国ならば、とうにあきらめて絶望してしまったでしょう。けれどイスラエルの民は心の中で皆こう思いました。
“私たちは絶対にあきらめない。神様は約束した通りに行われる神様だ。今に見ていろ!わたしたちの中から世界を治める王が出てくるのだから!”

しかし、待てど暮らせどメシアが来る気配はありません。
いつになったらメシアは来るのでしょうか?祈りながら何百年という長い月日が過ぎていきました。

ローマの侵略

イスラエルの国の苦しみは「ローマ帝国」ができるようになってもっとひどくなりました。
彼らは全世界をわれらローマ帝国が治めるならば平和になるだろう!と触れて回りました。
しかし彼らの手には鋭い鞭と剣がありました。
むちは、ただのむちではありません。そのむちの先が8つに分かれていて、8つに分かれている先に鎖や小さな鋭いくさびやガラスが結びつけられていましたから、ローマの兵につかまってむちでうたれようものなら、ものすごい痛みが襲いかかります。
武力で治める平和、虐げられるだけの見かけ倒しの平和、ローマの一員とは名ばかりで、重い税だけが強くのしかかります。

武力と武力がぶつかり合い、多くの血を流しながら悲しみに暮れている世界、弱いものは強いものにすべてを奪われてみじめな思いをする世界、
このような世界の何が平和だというのでしょうか?

ローマなんて滅びてしまえ!イスラエルの民はそう思いました。しかし、ローマは一層大きくイスラエルの国の前に強大になっていきました。
ローマを世界的な国にした戦いの王、ジュリアス・シーザーが暗殺され、ローマは終わったかと思われましたが、すぐにアウグストゥスという強い王が出てきました。
この王様は、シーザー王が作ってきた基盤の上にさらに科学技術を発展させ、もっと大きな戦いを仕掛けて領土を広げていきました。
彼は自分の名をローマの古代の神々と並べてあがめさせ、その名を知らぬものがこの世にいるのだろうか?と思われるほどでした。

強大になるローマの前で、イスラエルは力なくうなだれているばかりです。
長い長い暗闇の時代が続きます。ある預言者はメシアの別名は「明けの明星」だといいます。
暗闇にただ一つ明け方を告げる一番星が明けの明星です。
このつらく苦しい闇のようなイスラエルの虐げられる歴史に終わりをつげ、太陽の如く神様の栄光が現れる、というのです。

待ち望み

5年後だろうか?
10年後だろうか?
いや、もう今日にでも天が開いてこの地に降りてきていただきたいものだ。

彼らの祈りは深くなるばかりです。

ああ、いと高き天におられる神様、
私の涙の海は枯れはててしまいそうです。
私の祈る膝はくずおれて、粉になりそうです。
どうぞこの声をお聞き届けください。
あなたの約束の日を私にしらせてください。
嘆きと叫びの果てに

私たちの待ち望む「メシア」と呼ばれる王が来るということ

私たちは忘れていません。
どうかあなたの歩みをとどめないでください。

あなたは私たちの不義のゆえにメシアを送ることを先延ばしになさらないでください
私たちイスラエルに仇(あだ)する者どもを蹴散らすことのできる方はどなたでしょうか?
この天と地のすべてを術治める全知全能の万軍の神エホバだけで
しょう

私たちは乙女が新郎を待ち望むような心持ちで
メシアと呼ばれる聖書に預言された王が来る日を待ち望んでおります
この針の筵(むしろ)のような虐げと痛みの中でも

イスラエルの民は、いつも首が痛くなるほど天の雲を見上げていました。
メシアは雲に乗ってくると預言されていたからです。
あの雲に乗ってくるか?この雲に乗ってくるか?
大きな雲が流れているのをみては神様を呼ぶイスラエルです。

夜明けは必ず来る。そのようにメシアはきっとくる。
そうです。
イスラエルの長い長い闇は事実、終わりを告げようとしていました。

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