月明洞へ行った
もう30年以上も摂理と呼ばれる場所にいる。先日何十回目なのかな?というような感じで月明洞を訪問した。先生と呼ばれるチョンミョンソク牧師にお会いできたときもあるし、できなかったこともある。
獄の中にいらっしゃるからだ。
先日も同じ状況で、お会いすることはできなかった。
月明洞って何しに行くの?
チョンミョンソク牧師が月明洞は「祈りの場所」「休む場所」「神様に出会う場所」とおっしゃってくださる。
「月明洞で祈ると、お祈りがかなえられやすいんだって」という都市伝説のような話がある。
私は、テレビでパワースポットをめがけて観光に行く人たちを見ると、月明洞のほうがいいなあ、と思ってしまうこともある。
勿論、訪問は、義務ではないから、一言でいえば自分の都合が合うときに、自分の好きな方法で行けばいい。ただ、一応外国なのと、岩が大きいし、広いし、自然公園みたいな要素も多いので、ハイキングするときぐらいの注意は必要だなと思っている。
実際、何か定期的に訪問しようと思っても、全く訪問できなかった年もあれば、数回訪れることもある。今回も一緒に行った人の中で3年ぶりとか、7年ぶりといったような人も少なからずいた。
月明洞で先生に会った
裁判の中では、月明洞で先生とトラブルがあったとかで判決が下ったと聞いている。が、月明洞で先生にお会いしたことを総合して考えると、「絶対ない」だろうと推測できる。
「やってない」という証明ってホントに難しいなと思う。
もう一つは、一言が結構深いのである。だから、先生から異性を感じるか?というと、全く、である。正直、ちょっと私からすれば仙人のような感覚がある。訴えた人達より私のほうが先生とは年齢としては近いと思うが、その私ですら、精神的な年齢の開きは大きく感じていた。
まして先生があの女がこの女がといったことをおっしゃったことを聞いたことがない。男女の別なく平等に接してくださっているし、孫を扱うような感じにしか思えなかったのは私だけだろうか・・。
目を開けるのもやっとなほど
いつも先生を尋ねていくと、夜になると立ち上がるのも大変という記憶がある。
考えてみれば喜寿も過ぎたような年齢である。一日中人にあって、疲れるだろうなと思う。
ある日、日本のメンバが来てるから、と夕食を食べた後バレーボールを一緒にしようといった。着替えを済ませて運動場に来られた先生が、試合を少し見るために椅子に座られ。10分もしないうちに、そのまま先生は眠ってしまわれた。もう目を開ける体力自体が残ってないという感じだった。せっかくバレーボールしようと約束したのに、日本から遠く来たから、と頑張って起きようとされていたが、皆で「先生、もうお家に戻って休んでください」という感じになった。
その日1日だけ疲れているというよりは、連続的な疲労がたまりにたまっている感じに見えた。
あんな毎日の連続だということは、ちょっと訪問した人でもわかることなのに、あのつかれた状態で何ができるって言うのかなと思う。目を開けるのも大変な状態で・・何でそんなでっち上げが通っていくのかなと思うことが多い。もちろん24時間365日先生についていってみたわけではないが、裁判で訴えられた内容は、ありえなかったとしか思えない。
背中しか思い出せない
ただ、私を含め多くの人々が、そのことをどうこうできることではない。しかし、無念ではある。月明洞の大きな岩たちの中の一つに「ひたすら神様」と刻まれている岩がある。月明洞で出会った先生の思い出話を聞かせてくださいと言われたので、ところどころ、先生との出来事を話したりもした。
でも先生について思い出そうとすると、殆ど、背中か、祈っている姿しか思い出せない。ここで話してくれた話は・・えーと、先生はいいました「神様がね・・」「イエス様がね・・」から始まってしまう。
月明洞での思い出話を始めても、先生の顔が思い出せない。岩の形象を見ながら、膝をついて祈っていた姿はかろうじて思い出せるのだが、残りは殆ど背中しか思い出せない。
先生と言う方は神様の方しか向いておられなかったように思う。
良く、あなたは末端の信者だから、あなたが知らない先生がいる、といって実はね・・という人達がいる。が、いつも思うのだ・・だったらもっと私たちに先生が見れるようにしてほしかったなと。自分の目で見て確かめるよ、私は。
見れないから仕方なく、作った作品を見て、文学を見て、今までやってこられた足跡をたどりながら理解するしかない。この千の岩は誰が積み上げたのか?千の岩の何十かは積み上げる姿をこの目でみてきた。明け方早くに祈ってもらい、夜は目も明けられないほど共にして、じゃあ、と男たちが両脇に抱えてなんとか部屋の前に連れて行ってお一人で部屋に入るところまでみんなで
それでも知らない先生って何?と尋ねたい。

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