生きる技術

ちえみThinking

クリスチャンだけど喧嘩

仕事をしながら上司とついに喧嘩。
あんなに気を付けていたのに・・
いや、喧嘩しようとしてるわけではないねんで・・
と言いたい。

怒りを治めるのは本当に難しいけど、それを治められてこそ本当の信仰じゃないかなって思うといつも反省する・・。ちょっとは進歩してるけど、信じれば何もかもが変わった、などといった単純なことではない。それでも、怒りを治めなければと思う分、違うのは違うだろうなと慰めてみたりもする。

技術にもいろいろある

仕事が負担なのではない。
仕事自体は、上司が騒ぐほど おおごとではない。

おおごとにみえるかもしれないが、摂理の教会で習った御言葉をあてはめてやっていったら、難しそうに見えても殆どが解決するように思う。

意外にも、「技術」なんだとおもう。

”人もそうです。同じ人間でも生と技術です。人もどう生きるかによって天国のように生きたり、地獄のように生きたりします。

各自神様の御心もあるけれども、技術です。技術者はイエス様のように天国をつくって生きていきます。同じ環境で同じ木で家を建てて暮らすけれども、技術のある人は天国のようにしておいて暮らすし、技術のない人は一般的な家を建てて普通に暮らします。だから技術のない人は、素敵な家を建てて暮らす人より不便な思いをして暮らします。”

仕事そのものの経験や知識という意味でも人を追い上げていく速度は速い気がする。

多分、「学ぶ技術」を先生から教わっているんだと思う。その学ぶ技術の大元は、「人の話を聞く技術」なんだと思う。こればかりは、教えてくださる先生が本当に大事だと思う。どんな先生に学ぶのかで大きく差がでるんだなとこの年になってやっとわかるようになってきた。

「信仰とは聞くことから始まる」という言葉がある。

最後まで聞いてから判断すればいいのに、急いで決断しようとするから問題が起こるんじゃないか?と思う。

英語とか、AI、プログラミングなど、そういったことを「技術」と呼んでいるが、
最近「無形の財産」というものが注目されている
「考える力」という教育が大きくて、自分がしっかりと自分の意見をもって考えることが豊かに生きられる、と思うかもしれないが、「話し上手は聞き上手」ということわざの通り、「聞く」という技術が何にも勝るという気がする。

ただ、私の問題は、人とうまくやる技術である。

私が、短気なのである。
物事の道理を把握したり、理解するのは早い反面、もたもたしている人や論理的な矛盾を嫌うところがある気がする。

私もぐうの音も出ないほど反論すればできるとおもうが、
神様は正論を振りかざして相手を傷つけることは好きじゃないだろうなと思う。

人格的に柔らかい言葉でありながら、すっとほぐすような言葉で人を導いてあげる技術を身につけないとなと思う。

「塩で味付けされた言葉」というのが本当に難しいんだと思う。

いつも同調してあげるだけでは物事が進まない。だから時には冷たいと思われても「知らんがな」と言わなければならない。また時には「沈黙」という言葉を使わないといけない。
そういう器用さがまだまだだなあ・・と思う。

逆に言えばそれだけ、私の人生は、神様に祈ることを通して、いつも勇気を得て力を得られるような人と言葉に支えられて生きているんだなとしみじみ思う。

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