神様の黙(もだ)

Bible Study

失われた黙(もだ)

ディベート、説明責任、話す技術、など、世の中は様々な人々の声で騒がしい時代になりました。マウンティング会話講座などといったものもあり、言葉で人より優位にたって、自分の能力を誇示しなければ生きていけない時代なのだといわんばかりです。

ことわざに「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉もあります。
これは、何も語らず黙っていることは、すぐれた雄弁よりも大切であるということを意味する言葉ですが、今や死語になりつつあるように思います。

言わなければわからないのだけれど、言わなくていいことまで言ってしまう世の中なのではないか、と思うときがあります。

最も強烈な声

「黙(もだ)」という言葉は、俳句の番組で知りました。

「犯人逮捕」干鱈を毟る母の黙 

柴田理恵さんの俳句

という句が強く印象に残っています。
犯人が逮捕された被害者の母が子供を失った悲しみが「黙(もだ)」で表現されているというわけです。
失われた大切な人の声を聞けないという「黙」もあります。

様々な方の訃報を聞いたり、時に本当に残忍で理不尽な事件で被害にあわれた方の哀切な心が痛く伝わってくるたび、この俳句が思い出されてしまいます。以降、さまざまな場面で「黙」が使われた俳句をみましたが、黙する中に叫ぶよりもっと大きな声を感じます。人は悲しみが限界を超えると、ほんとうに「黙」という状態になるように思います。

演説などでも、強調したいとき「ささやくような小さな声」で行ったりするのだそうです。 弱いことが強い、そんな世界の代表選手が「沈黙」のように思います。

天国は言葉を越えた世界

天国は、心で通じ合う世界、といわれています。
日本的に言うのならば、「心にビンビン伝わってくる」というのが近いと思います。

人間の世界も、顔では笑い、心では泣きますし、
言葉では面白おかしくふざけているけれど、内心は本当に悲しみの中に暮れていたりもします。そういう声にならない深い胸の内を「心情(しんじょう)」というのだそうです。

そのような神様の心を感じられる人になれるのなら、間違いなく天国の住人になれるだろうと思います。霊の世界は、心が通じ合う人が最もそばにいるといいますから。

休符という音

音楽は、メロディーの間の休符が大事だといわれたことがあります。これが、音楽の深みと広がりを出す大事な要素なのだと。休符という音が聞こえなければならないといわれました。

私も口下手なほうだから、ぱっと気が利いた言葉が言えません。でも思うんです、だからこそ、人の、そして神様の「黙」の中にある声を拾える人間でありたいなと。

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