今日、本当に悲しいコロナに関するうわさを耳にしたので、声を上げようと思いました。
コロナに感染した、といって、果てしなく言葉の差別や 感染の危険を避けるために公表した個人情報から家を特定し、名前を特定し、 とんでもないような精神的な苦痛、村八分といった文化が横行していると聞きました。真偽のほどはわかりませんが、差別に苦しまれ、命を絶ってしまわれた方がいらっしゃるとお伺いしました。
面識はなかったけれど、その方に何にもして差し上げられなかった自分に対して、本当に悔しくて、悔しくて、泣きました。
遺されたご家族の方の悲しみを思ったら、もっと泣きました。
泣けて、泣けて、悲しくて、悲しくて、、やり切れませんでした。
もし、今、同じく、り患して、差別に苦しまれている方がいたら、
絶対に自分を責めないでください。助けを遠慮なく求めてください!
逃れの町
聖書にも、不慮の事故で人を殺めてしまった人が、仇討ちを避けるために隠れる「逃れの町」というのがあります。
何個か、そういった町が定められていて、ここへ逃げ込めば、誰も命を害することができないという町です。
物理的にそのような街がなくても、心の「逃れの町」が日本の各地にできてほしいと願います。
神様は、切実に願うことを祈りとして受け取ってくださるとおっしゃいました。無理に今クリスチャンになる必要はありませんが、本当にどうしようもないのなら、一度、どうせタダなんですから、どうか呼んでみてください。
そして、
差別をやめよう!
お互いに助け合おう!
犯人捜しをやめよう!と私もこの場で声を上げたいと思いました。
何もしてあげることができない、だけど、、声ぐらいは出せる。だから決心してここに書くことにしました。。
その正義は誰のもの?
ネットで誹謗中傷する人の多くが、「正義感」からそうするのだそうです。
悪い奴を自分が裁くんだ、悪い(と決められた)奴は悪人らしく罰を受けるべきだ、という正義があるようです。
感染防止のために公開された情報から名前やプライバシーを完全に踏みにじってさらし者にして、死ねなどといったひどい言葉を浴びせると。。肩を持った人間がいると、そいつも同罪だといわんばかりに、とことん社会から追い出すのだと。
政治家やキャスターがいくら、コメントを述べても、やめないのは、
心底正しいことを言っていると思っているのだろうなと思います。
それは、「刑法」で裁かれる犯罪だと知っていますか?
今は、たまたま、コロナにかかった人たちに向かってたくさん矢が射られているようです。 コロナを持ってきたやつは殺人者だといったりしているとも聞きました。 でも、昨日今日始まったことではなく、「正義」という名の暴力だと、もっと広く知られてほしいし、そのような認識を持つ人が増えてほしいと思いました。
不安な気持ち、言い分、あると思います。
だけど、、冷静になりませんか?
そうやって特定の誰かを追い詰めて、問題は解決しますか?
その正義が何の役に立つんでしょうか?
失敗に不寛容な日本
韓国人の牧師さんが私に、
「日本人って失敗した人に冷たいよね」とため息をつきながらおっしゃいました。
「失敗した人に対して再生の機会を与えてくれないよね。失敗を恐れて、結局何も決められないし、何も進まないし、そうしているうちにすごく損してしまうってことないかな?」とおっしゃっていました。
たぶん、もう亡くなられたと思いますが、有名なお医者さんのセミナーに行った時も、同じような話がありました。
日本では、医療ミスなどを起こしたお医者さんなんかも、二度と医療の世界に戻れないそうです。
でも、米国ならば、戦争の最前線や治安の悪い場所への医療などに回ったりして、また新たなスタートが切れるようにして、何度でもまた立ち上がれるチャンスがあるそうです。
近年、多くの日本語は失われていて、さまざまな文化風習も忘れてしまう日本の世の中なのに、真っ先に無くすべき「村八分」は何でなくならないんでしょうか・・
何事も先走りして人を裁いてはいけない
コリント第一の手紙で、何事も先走りして人を裁てはいけない、と書いてあります。先走りして人を裁く権利は人にはないのです。
いつも誰かがつるし上げられて、正義という名のいじめが多発する世の中なんて、悲しすぎると思いました。
早くこの病気が収束し、また、もっと互いの失敗を許しあい、愛し合う世の中になっていけるように祈りをささげたい、と一層思いました。
いつまでも雨が降るのではなく、いつか雨がやんで晴れる日が来ます。
さまざまな困難から立ち上がり、
立ち上がるときにあの日のことが糧になったと笑える日が1日でも早く来ます事、
切にお祈りしています。