人は見た目が大事?

ちえみThinking

摂理は本当に美女ばかりを集めるのか?

摂理の人と言えば、美人ですらっと背が高い人が集まっている。
そういう女性が狙われています、という常套文句がある。

私は自分自身が全く美人ではないから、そういう自分が摂理の教会に通っていることを考えると、どこからそんな話になったのか?と不思議でたまらない。

見た目がいいから大事に接しているのでもないし、美女のことだけ考えているのではない。たまに美女だから私が大事にされるべきでしょ?みたいな人もいたかもしれないが、今や彼らは教会には来ていない。

でも、美男美女が多いなとは思う。
シュッとしててかっこいい洗練された感じのイメージは確かにある。

神様に猛抗議した日

私は、御言葉はいいのだが、美男美女が多すぎる摂理がつらくて教会に通うのを辞めたいと思っていた時期も正直あった。

私も、美人だったら牧師になれたのじゃないか?とか、
職場でも もうちょっと美人だったら早く出世したはず、などと不届きなことを思ってて、
摂理の牧師を烈火のごとく怒らせたことがある。ただ、その烈火の如く起こっている牧師さんも美人過ぎて、はあーー牧師さんには私の気持ちなんてわからないよ、と思った。怒っても美人が得だとひがんだりしていた。

ある時、私は、自分の容姿をどうしてこのように醜く創造されたのでしょうか?と3時間も祈ってみたことがあった。

よりによってこの美男美女の多い摂理の教会で、不細工は困るし、
神様を熱心に信じれば信じるほど、あんなブスが行く教会なら俺はいかないって絶対に言います、
そうやって神様の顔に泥を塗っているって思われたらつらいです、でもそういう顔や骨格の構造になってるんです、などの猛抗議である。
とりわけ首が短いんです。これは努力では何ともなりません!どうしてこんな作り方を・・私の家系の遺伝子がみんな首が短いんだったら私だってあきらめるけれど、そうじゃないですよね?などなど。
そして顔のパーツ全体が小さくて全てが円いため、ぬいぐるみのような出で立ちになり、実年齢よりかなり若く見られるので困るなど、ありとあらゆることを祈った。

何故私はこの見た目なのか?

その時は、神様もかわいそうにと思って聞いてくださった感触を得たかったが、何となく神様はおこっている感じがした。私の創造した容姿に文句を言うか!と怒っていらっしゃるし、絶対にあなたの見た目はこれしかない!という強い気迫を感じた気がした。

その時、ふっとインスピレーションがわいてきた。
私の中身が強烈で怖いから、中和させるためにどうしてもこれしかない、と思っていらっしゃるのかなと・・。強烈な性格を中和させて人とうまくやるためにそうしたのかなと・・。

もう一つは、うわべだけの美しさに気を取られて神髄が見えないとだめだという感じがした。

摂理に来て、表面的な一時の基準に振り回されて生きずに、神様が創造したそれぞれに持っている美しさであったり、
生きていく中で培っていく美について学ぶようになったからなのかもしれない。

本当の美はどこにある?

先生も自分は不細工であまりにも不細工で鏡を割りたいと思うほど嫌だったと話してくださったことがあった。この話、続きがあって、見た目の問題じゃなくて無様な生き方をしている自分が嫌だったんだと思ったと。だから天の前で素敵に生きる生き方を学んで生きたら違ってきたという話が続く。

聖書をなぜ学ぶのか?
いろんな理由があるが、その一つに、
自分という存在がどれ程貴重なのかを悟るため、という理由を教えてくださったことがあった。

推しを「尊い」という。
自分の貴重さを悟る美しい人がもっとたくさん増えていく世の中になってほしいなとこの頃は思えるようになった。

美について考えるこの頃である。

今 世の中は多様性の時代になってきて、様々な美を評価する時代になった。
人の美の価値観がもっと変わらないといけない時代になったのだろうなと思う。

でもそれは、むしろイエス様の時からあった、古典的なことだったのかもしれないと思うことがある。

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