思慮深い乙女
イエス様のたとえ話は時折不思議なことが書かれています。
マタイによる福音書25章を読むと、「10人のおとめ」のたとえが出てきます。
10人のおとめが花婿を迎えようと準備をしていましたが、5人は迎えられて、5人は迎えられなかったというお話です。
原因は「油」。夜遅く来たのであかりが必要で、ランプそのものは用意していたのですがランプに火をともすための「油」がなかったという。
あかりといえば、油。言わなくても、予想しておくべきだったのに。
だから、物事を表面的にとらえないで、「思慮深く」考える人間にならないといけない、という教訓的な御言葉がよく出ていきます。
なぜ、油を分けてあげなかったのか?
5人の愚かな乙女は、いざあかりが必要になったときに気が付きます。
油がない!
だから、準備している5人の乙女に言いました。「分けて!」
でも、「私があなたにわけたら足りませんもん!」といって分けてくれなかったというのです。
なんかそれって、心痛くない?って思ってたんです。
油を買っておいたほうがいいよ、とか、勧めてあげなかったの?
余分に買っておくとか、すればいいじゃん!
と思っていたんです。
でも、「油」は比喩だと学びました。
分け与えることが本当にできなかったものだったと。
例えば、その人の「義」と呼ばれる、行ってきたことだったり、
「愛」の油だから、分け与えることができなかったんだと。
愛から思慮が生まれる
改めてこの御言葉を思い出して、もう一度不思議に思ったんです。
愛と思慮と何の関係があるんだろう?と。
深く考えて、私なりに結論。
1つ目、多くの人が愛すべき人を間違えた、と苦しんでいる。
だから、愛すべき人、愛すべきものを慎重に選ぶ思慮が必要。
2つ目、愛する人のために何ができるのか、考える思慮が必要。
なのではないかなと。
途中で冷めれば、愛ではなく、恋で、楽しいけれども悲しい結末、
人々は、お金がなくても幸せになれるけれど、愛がないと本当につらい人生になると思います。
異性に限らず、家族や兄弟や、友人、互いを尊重しあい、真実に相手のためになることは何かを考える愛という思慮がすべての問題のカギを握っているのだなと改めて思いました。
愛の油を準備する時
今、コロナの後の世界、というニュースがものすごく多く叫ばれていて、
あの株に投資したらいいとか、
世界大恐慌が始まるとか、
飢饉がおこるかもしれないから買いだめを、とか、
戦争がおこるんだとか、
過去の歴史を紐解いて一層不安にならざるを得ない世の中です。
でも、こんな時、あれこれアイデアを出してピンチを切り抜けて、
販路を拡大したりする人たちもいるというニュースや、
お金がない人は今欲しいだろうから、と炊き出しを行っているNPOにお金を寄付する人もいるとの心温まるニュースもあります。
今は家族と、民族という大きな家族と、世界という大きな家族を愛する愛の油を用意することを、神様は何より願っていらっしゃるのだと思います。
物心共に、大きな愛の油を用意して、一人一人の人生に神様の大きな感動と恵みが一層満ち溢れることができますように!
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