すみません。お堅いタイトルで。NHKの欲望の資本主義というドキュメンタリーをみて面白くなってしまいました。
千年王国
千年王国、という言葉が黙示録に出てきます。
旧約は4000年、新約は2000年、その後新約(=新しい約束)で神様が人間と約束したメシアが現れたら、1000年の新しい時代が来るという預言です。
ADとはAnno Domini(=ラテン語で主(イエス・キリスト)の年にという意味)ですから、イエス様が生まれた年を起点に(実際の暦は複雑で、正確ではないようですが、それでも最大5年程度の差と言われている為)しているのならば、今年は2020年ですから、それなりに、メシアが来ていると考えて差支えがないという論理になります。
千年王国というのは、メシアが来たらどんな世界になるか、という話で、
一言でいえば、地上天国になるという話です。
哲学的(?)に言うのなら、理想世界(理想的な世界)、ユートピアといったところでしょうか?
支配という言葉で翻訳されている為、怖く感じると思いますが、神様が強烈に人々を幸せになるしかない方向へ持っていく、という意味だと学びました。
天国は心のただなかにある
イエス様の時代にも、イスラエルはローマの支配下にあり、政情が不安定だったこともあって、メシアがきたら軍隊を作ってローマを滅ぼしてくれるのだと期待している人も多かったようです。
ところが、イエス様が来られても、ただただ御言葉を伝えて、弱い人々に寄り添って生きていかれるので、あんなのがメシアかと言われたようです。
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
ルカによる福音書/ 17章 21節
イエス様は、彼らに言いました。武力では何も解決しない、
富や政治的な権力で解決できるのでもない、
まずは心、考え方を変えなければならないんだと。
善なる自由と悪なる自由
資本主義経済の終焉が叫ばれる現代ですが、資本主義がうまくいかない理由の一つは「人間の自由」の使い方、だと論じる哲学者もかなりいるようです。
もともと資本主義というのは、全体のために奉仕するのもしないのも自由、
どれぐらい奉仕するかも自由、だけど、行ったとおりに富を分配して、
すべての人が豊かになる、という論理からきています。
ですから、「富を正しく分配」しないと意味がないのに、
奴隷を雇っているように労働力を搾取し、彼らの取り分を一部の人が囲ってしまうという問題が大きいのだということです。
だから社会主義のように働きに関係なく完全に同額分配、という論理がいいのかと言えば、それもやっぱりうまくいかず、割と独裁主義のようになりがちだったり、働いたって働かなくったって一緒じゃん、という感じで怠けて経済が上向きに進まないという問題が歴史上指摘されています。
結局どちらも、「悪なる自由」を強烈に行使する人たちがいるので、自由を行使した結果、誰かが極端な不自由をこうむるのです。
行き過ぎた自由にはどんな例があるかというと、
人を殺したって自由だ、とか
誰かから労働を搾取して富を再分配したっていいんだ、といって給料をまともに支払わず、まるで奴隷のように人を働かせる人が出てきたり、
言論の自由だといって、SNSなどで言葉で暴力を行使し、社会的精神的に窮地に追いやることだって自由だという、
ことなどです。
ならば、といって、互いに便利になるために、法律を作るといいますが、これがまた、一部の人にとってだけ利益があるんじゃないか?といったことも多くあって、
良かれと思ってとった政策がかえって人々の貧富の格差を増大させているなど、問題山積というわけです。
職業選択の自由、結婚相手を自由に選び、自分の人生の生き方を縛らず、言論も自由・・・全部、必要なんです。だけど、それを使いこなせる「善なる心」を持たずには、すべての仕組みが意味がなかったというわけです。
結局イエス様の哲学に戻ってきただけ?
私たちは、2000年たった今になってやっと、SDGsとか、男女の性差や民族の違い、といった格差をなくそうとか、平和になろうとか、いって具体的に動き始めているし、
戦争をしちゃいけない!互いに仲良く、という声を大きく上げるようになってきたわけですが、
イエス様は、あの男女が同席など絶対にしない、女性蔑視のあの時代に、女性の弟子たちもたくさんいて、
職業や身分等、厳格になっているあの時代に、身分も職業も多岐にわたる弟子たちがいましたし、
神の裁きを起こしてやる!なんて暴力に訴えるようなことなど一度もありませんでした。
イエス様は非暴力の戦い、なんていうことだってすでにされていたのです。
個人的には、科学や技術は進んでいるようで、人間の政治や哲学、人道的な歴史というものは、2000年前のイエス様の心に2000年かけてやっと追いついてきているといったっていいのじゃないかと思ってしまいます。
よこしま(邪)なこと
讃美歌に、”よこしま しばしは時を得とも 主のみ旨のややになりて あめつちついには一つとならん” という歌があります。
悪いことはしばらくの間は時の人となって世界中で悪がのさばるようなことがあるのだとしても)、
主の御心のとおりに天と地のすべてが一つになる、 という意味です。
聖書の預言も、千年王国という天国がこの地上になされて闇が完全に閉じ込められると書いてあります。
多くの人が平和で平等で豊かな世界を強く願ってきた祈りが極に達して、さまざまな困難を乗り越えながら今大きな転換期を迎えているように思います。
きっと今までは、そんなことしたら損じゃんね!って思うようなところに、自分も生きるし相手も生きる道っていうのがあるのかなあ、と思ったりします。
飛躍はないのかもしれませんが、
今、環境問題に堂々と演説する少女が出てきたり、
女性を学校に、とグローバルに活動する若い女性がいたり、
富や武力ではない方法でもっと大きなうねりを作る事が多くなったように思います。
からしだね
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。
マタイによる福音書/ 13章 31節
からしだねってわかりますか?
マスタードありますよね?あの中に入ってる小さなつぶつぶ。あれがからしだね・・。
めちゃ小さいですよね?
でもあれがものすごく大きくなるのです。
あんなふうに、小さな一つのSNSでビジネスのピンチを切り抜ける人たちのニュースも見かけますね^^
そんな風に、小さな1つの点のようなところから天国は始まるのだというわけです。
イエス様が来られて2000年という月日が流れ、神様の御心通りに行こうと思う善なる自由が勝利する時代が来ようとしているのかもしれません。
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