いきなりどぎついタイトルですみません。
お金を追いかける人生
今の若い学生さんたちにお会いすると、「起業して成功したい」っておっしゃる方が少なからずいらっしゃいます。
ビジネススクールに通ったり、起業家たちの集まりにいって人脈を広げたり、英語を学んだり、資格を取ったり。
うちの伝道師や牧師たちが、成功するには「聖書」だよ!と熱く勧めて聞くようになったものの、ざっくり言えば、お金を稼いで生きていくために、目の前にすべきことが多くあって、「聖書」を学ぶ余裕などない、というわけです。
大学の専攻と生涯収入の関係
ところが、最近、経済系の雑誌のとある記事で、世界で最もお金持ちになっている人たちの多くが学生時代に勉強していることは「社会学」や「歴史」などの「人文学系」の学問だという統計データが出ているという記事を読みました。
プログラミングと英語なんて古いかも?
今や小学生からプログラミングと英語を学ぶといいます。
でも、お金持ちになるのは「即戦力」になる技術を身に着けた人ではなく、「人間とは何ぞや?」といったようなそういう哲学的なことを学んだ人だというわけです。
すぐ使える奴はすぐに使えなくなる
日本の産業界の重鎮の方々が、著名な大学教授たちにお願いしたそうです。
「即戦力となる人材を育てて世に送り出してほしい」と。
すると、大学教授たちは言いました。
「すぐに使える奴は、すぐに使えなくなりますけど、いいんですか?」と。
今のはやりすたりを追いかけていたら、前を走る人間は作れないというわけです。ものごとの仕組みというものを根本的にわかっている人間が強いというわけです。
急がば回れ
スピード感のある時代です。でも、このことわざが最も効力を発揮するのは今なんじゃないかと思います。
聖書という、一見自分の人生とは何の関係もなさそうな本に出合った皆さん。
「袖触れ合うも多少の縁」といいます。
映画館で1本の映画を見るように、
カフェで1冊の本をゆっくりと眺めるように
ほんの一息、聖書の世界をのぞいてみませんか?
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