作業大好きな日本人
キリスト教福音宣教会では、月明洞(ウォルミョンドン)という場所で強制労働させられるという噂があるらしいですね。
私も、最初、韓国の山奥に行って作業という話を聞いて、うわー、ここってヤバイとこかも?と思いました。
でも、ほんとにこれが楽しいんです。。
私は、畑や果物の栽培、造園などを趣味でやっていたことも手伝って、
そもそも総会長牧師の岩の造形作りを見ていることが面白いんです、
私だけなのかな?って思っていましたが、実際は、作業が楽しかった、もっと作業がしたかったという人が後を絶たなかったように思います。
作業といっても、労働でもないし、大して何もできるわけでもないので、ぶっちゃけ、
一日体験ファーム的なノリに近いと思います。
途中いろんなレクリエーションがあったり、おやつも出してくれたりと、そんなに重労働って感じでもなく、手伝ってねとはおっしゃってくださるものの、現実は子供が私も手伝う!といってかえって時間も手間もかかるというような水準に近いだろうと思います。そんな風に言われたことはなく、手伝ってくれてありがとう、といつもおっしゃってくださるけれど・・。
何であんなに作業が楽しいんだろう?
みんながうれしい理由の一つは、「褒められる」ことにあるような気がします。
私たち日本の教会にいるときには、やはり教会も社会の一部で、常識的な団体としてきちんとしないと。という緊張感があるような感じがします。
街中を歩いていると、子供をたたく親、ひどくしかりつける親を大抵一組は見かけます。
たたかなければいい子になるそうです。でも、本当にイライラしてしまうそう。
でもその元をずっとたどっていってみれば、自分が自分をいっぱい傷つける人が多いんです。お前なんかダメだ!って。
でも、ここでは違います。うわー、すごいね!えらいね!賢いね!かわいいね!かっこいいね!と3分に1回は褒められているような調子だと思います。お世辞でもなんでもなく、月明洞の文化の一つだなと思います。次第に声が大きく、キャッキャと笑ったり、うれしすぎて歌ったり、日本人チームが一番楽しそうに見えるのは私だけだろうか?と思います。
芝生の作業で学んだ本当のオンリーワン
ある日、芝の中にある雑草を1本1本手で抜き取る作業をしていました。
芝と雑草とがとてもよく似ていて、四つ葉のクローバー探しのような感じでちょっとはまります。
皆にこんなにやってもらって申し訳ないという気持ちや、
非効率と思っていないだろうか?と牧師さんが気になったようで、私に、
「日本人なら、1時間でやるでしょう?
芝を刈る機械をもってきて、画一的に同じ長さに切りそろえてしまう。
だけど、ここではそうしない。
芝1本1本違うから、それぞれの個性に合わせて一つ一つ丁寧に扱うという哲学なんだ。」
「日本人はそうやって人々を画一的に何かの型にはめ込んで、型に合わない奴は、とピシパシ切るだろう?そうやって人を縛り付けるんだ」とおっしゃいました。
その時はふーんって感じだったが、時が流れていくにつれ、この言葉がとてもしみてきます。
コメント