あてどもない忙しい最近
ToDoに追われているような毎日。
時間だけが慌ただしく過ぎている感じです。
ゆっくりと思索にふける時間がなく、いわゆる忙殺されている状態・・
何がそんなに忙しいのか?
そもそも、こんなに忙しいのは私自身が風呂敷を広げすぎているからなんです。
コロナの間に始まった着物リメイクから派生して手芸の世界が広がってしまってるし、
語学とか新しいビジネスのアイデアとかで広げたりもしています。
加えて、ミドルエイジクライシスだとかいって、資格試験の勉強とか、語学だとかをしていたりもしててそれがそのまま続いている感じになっています。
他、術後の管理とかで健康管理がなあといって、新たにジムに通い始めてしまったり、
今はさほど手間がかかるわけではないけど、家族の面倒もちょっとだけ 看ていたり、
といった日々。
人は何を学ぶべきかが難しいと思ってた
友達に何でそんなにいろんなことができるの?と驚かれたりもするし、聞くだけで疲れると言われることもあります。こういった類の行動ゆえ、ADHDの多動では?と言われていることもあります。
言われて何も考えないというわけではなくて、言われたこととか、自分を少し冷静に見つめてみようと思って考えたりして、休んでみたり、テレビを見たり、バランスを取るために調整していることはたくさんあります。
私自身、摂理に来て、特別金持ちになったのでもないし、牧師とかそういうのでもないし、結婚してて充実ってわけでもないし、仕事に生きてるわけでもない、から、なんかちょっと焦って風呂敷を広げすぎたかなと思ったこともありました。
広げすぎて、もう少し取捨選択したほうがいい、と言われたこともあれば、自然に1つに絞られてくるよ、とアドバイスを受けたこともありました。
広がるばかりで一向にしぼまないけどね、と思っていましたが、50歳近くになってゆっくりと絞られてきている気がします。
若い時から、一つのことにとんがってて、全力投資する人が成功するというのは多く知られた話です。人間は6000時間を投資したら誰でもその道のプロになれると言われています。仕事として10年やったらその道へ行けるということを意味しているのだそうです。でも、迷うんだよねーというわけ。私もそうでした。
加えて、じゃあ、チョンミョンソク牧師に何を私は学べばいいですか、神様に聞いてみてくださいと尋ねる人は多いけど、個人的に答えてもらえる人もいるけど本当にごくごく稀。そもそも自分で決めることだから、聞いても本当のところ答えは自分が知っているでしょう?という感じなんでしょう。
加えて、信仰を学びなさい、神様について学びなさい、御言葉を学びなさいとおっしゃると思ってて、その他のことをあまり聞かなかったんです。
「学び方」を先に学ばなければならなかったんだ・・
最近ふと思うんです。そうだ、何を学ぶか、も大事だけど「どのように学ぶのか」も大事だったんだと。
私は摂理にきて30年、何をしてきたんだろう?こんな年齢になって、何ができるんだろう?失意のどん底のようなときが一時期ありました。
この失意の時、「今まで何もやってなかった。何もできてない、というのか?今からでも学んだらいいじゃないか」とか「やれなかったことだけを見ていないでできたことも見るのが大事だ」といった御言葉をしてくださったことがあったんです。
でも、その時チョンミョンソク牧師がサッカーを学んで始められたのもスキーを始められたのも40代になってからだったなと。その後、60代でマジックとか習っていらっしゃったよな、とも思いだしたんです。
昭和世代はご存じかもしれませんが「80の手習い」という本が昔あったんです。年をとってもなお学んでいく、そういうことも一つの成功なんじゃないか?と考えるようになったんです。
学ぶ楽しさ
その後、英語やハングル、会計のことやITなど資格を取ったりして学び、趣味の世界も学んでみました。摂理で「学ぶ人の姿勢」ということはよく教わっていたんだと思います。だから自然に1番よくできる生徒になりやすい傾向があるなと思います。するとまた、そこまでできるのならこれも教えてあげようと教わると、また楽しいのです。
そのようにすると、人間関係も豊かになってきました。
学んでいるとね、それを知っているならと仕事が向こうから歩いてくるヨ、と言われました。それは、摂理の教会ではなくて、世の中の上司たちがそう教えてくれたのです。だからそれは社会の常識なんじゃないかと思うけれど、上司を通して神様が働きかけてくれたんだろうなと思います。
今すぐは金持ちでもないし、名誉もあるわけじゃないし、もしかしたらこのまま「鳴かず飛ばず」かもしれない。
だけど、何もしないときよりは前進していると思います。そうしていると最近はこのようなことを「富」と呼ぶようですね・・。「見えない財産」というらしい。人生100年時代にはそれが必要なんだと。
これを学びたいと思えることがあるのも感謝。そう思って突き進めていけばいいかとおもっています。
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