教会のメンバーが、SNS等で短歌がすごくいい、とすすめてくれたので、私もね、と思ってから1年以上過ぎている。
ずっと頭の片隅にはあった。
自力でいろいろやっていたのだが、まったくもって何もできなかった。
それで、1年頭の片隅にあったものの、すすまなかったので、思い切って通信講座で習うことにした。
「ことば」は普段使っているから、ことさら学ばなくても想いのたけをぶつければできるのでは?と思っていたのだが習ってみるといかに自分が無知だったのかを思い知る。
普段から聖書を通して御言葉をたくさん聞いているので、言葉にはあふれている、そう思っていた。
思えば、「感情の世界」を扱っている宗教的な「ことば」に触れているはずなのに、不思議にも御言葉を聞いて伸びているのは「論理的な考え方」だったり「話を理解する力」だったりする。
そういう日々の中で病気になりながら自分をはたと振り返ってみたとき、
私自身が、神様を信じて宙に浮いたような現実離れした人になっちゃいけない、と、そういわれたわけでもないのにぎゅっと力が入っていて、心を楽にして神様に向き合えない、と悩んでいる自分がいるなと思っていた。
ええい、もう、みんなに御言葉を教えるなんてことは私の性にあってない!私は御言葉を聞くのが好きなだけでうまく教えて目立ちたいわけでもないし!!
と思った。
そうやって、文語訳聖書を買ってみたり、音声で新改訳聖書を読んでみたり、初心に戻ろうと思って、御言葉を聞く前にたくさん祈ってみたり、
いろんなことをしてみて、御言葉を聞く、という意味ではだいぶん発展してきている気がする。
ただ、ブログなんかを書こうとすると、何か気の利いたことを言わなければ!と思ってまた固くなっていたが・・
正確にきちんと書こうとすると、今度は恐ろしく時間がかかり、お決まりのネガティブモードが発動してしまい、大変になる。
そんな中、短歌を学び始めると、すごく彩が豊かになった気がする。
まだ始めたばかり。人に出せる代物でもないけど・・
そうやってまた、「文学的な味わい」をもってゆっくりと聖書を読むと、心にしみるようなことがたくさん出てきている気がする。
ブログも休止した状態になっていたが、少しずつまた書き足してみて、色が出てこれたらいいなと思っている。
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