東北の旅へ行きました ~摂理の牧師を訪ねて~

その他

ご無沙汰という挨拶も恥ずかしい限り

私、正直、ずっとブログが書けなくなっていました。
私は多分、病院で診断をうけているわけではないけれど、HSPのきらいがあるのだと思います。

最近、戦争や、様々な事件を通してテレビを見るのがつらくなり、ブログも完全に停止してしまいました。

こんなに世界は悲しいニュースばかりを伝えていただろうか?と思うんです。。

加えて今取り組んでいるイエス様の物語も終盤に差し掛かろうとしているところ。
バプテスマのヨハネが死に、そこから十字架の道までわずかな時間なのに、聖書の描写ってものすごいんです。
そもそもイエス様が十字架にかかり亡くなられるまでの1週間の出来事にさいてるページ数がめっちゃ長いのです!

キリストは全人類の罪を背負われて十字架にかかって亡くなられた、
その言葉は2000年の長い間語られてきたし、
皆何かの苦しみを背負えばクリスチャンでなくても「十字架を背負う」というほどです。

私のようなぺーぺーが書くような題材でもなかったよな、とさらに悶々としたりします。
鞭で打たれたという箇所でも、ほんとにいろんな歴史資料もあって、読むとまたつらくなるんです。

人ってそんなに残酷になれるんだろうか?と思うけど
テレビをつけたら、人の命が奪われたニュースが出てきて、心がつらくなる、の繰り返し。

考え込む癖を治さないとな、
心配とかしないようにしないとな、
もっと肯定的に積極的に物事をとらえないとな、

と頭ではわかっているけど、
なかなか簡単に治りません。

だから、私は、よく思うんです。
「洗脳」なんてできないよね、と・・。

その話をし始めると深いのだけど、、それはまた、次の時に書こうと思います。

みちのくの旅

さて、先日東北を旅してきました。

5年ぶりぐらいに、ひょんなことから東北に住んでいる牧師さんと連絡を取るようになりました。

この牧師さんが

「東北って、何にもないところでしょう?」と言ってきたので私の心に火がついてしまったんです。

「いや、旅なら東北でしょ!」と持論を展開。
それなら東北へ来てよ!と言っていただき、旅が決定!

正直、結構前からメジャーな観光地の一つだと思うけど・・

何人かに「シブイところへいくねー」と言われ
うれしくなりました。

知られざる名所

元々、人があんまり知らないけど、実は、隠れた名店、とか
ぱっと見は大したことがなさそうに見えるけど、実はものすごく価値がある芸術品、とか
玄人はだし(くろうとはだし)なものを好む傾向があります。

意外にも自分のそのような審美眼には言わないけれどもちょっと自信があるんです。

みんなは、何それ?と言われたり、
そんなの別に大したことないでしょ、とか言うけれど
私の眼に狂いはないよ、
と思ってるフシは否めないと思います。

私、いつも「あの異端の」「あの変な」キリスト教福音宣教会?摂理?に通ってるの?

って聞かれても、

私自信あるんです。

みんな知らないかもしれないけど、私としては、めっちゃこの教会、いいから。来てみたらわかる。私、結構調べてこだわってる方だから・・。と思ってます。良さを上手に伝える力は、あんまりないんだけどね・・

暮らすように旅する

牧師さんたち一家が私の旅の要望を聞いてくれたのですが、
東北の海産物を織り交ぜたピザなどが食べたい、
といった発言にとても面白がられました。

今回も遠くに住んでいるはずなのに、何でそんな地元の人もしらないような隠れた場所にいくの?
と面白がられました。

ちょっと流行ってるじゃないですか?
暮らすように旅する。

いろんな解釈はあるんでしょうけど、観光地でーす、って感じがしない、ちょっと普段ぽいとこへ行きたいんです。

さりげなさを大事にしてしまう私

旅をしながら牧師さんが私にいいました。
ちえみちゃんって、気を使ってませんよ、って感じなんだけど、実は細部で小さな気遣いが行き届いてるよね、
と。
まるで空気みたいだから、鈍感な人はまるで自然な成り行きでそうなりましたって感じがすごいけど
実は結構気遣いだよねー?と。

うわー、バレたぞ(笑)

さすがは牧師さん・・。

私は、押しつけがましいのが、あんまり好きじゃないんです。

いいよ!いいよ!って押されると、いや、私はそう思ってないし、って思うタイプ。自分で考える時間を頂戴!と言ってしまうんです。もうちょっと、そういう押しとか推しみたいな要素が私にあったら、私の人生はもうちょっといいのに、と思うこともありますけど・・。

一方で、私摂理人が最初すごい苦手だったんです。

なんでもかんでも神様に感謝でしょう!目がキラキラって感じだったので。

そんなに人生楽しいか?って冷めてたわけです。まだ18だったってのにね・・(笑)

私って、摂理人だな、って実感する時の一つ

しかし、そんな私も、やっぱりメンバーだなと思う場面の一つが旅。

あー、やっぱり神様が私のために!!!
となにかにつけて喜ぶんです。

今回も、私が食べたいな、っていったすべてのお願いをかなえてくれたと思ってます。

結局、弾丸のようなツアーでありながら、結局行きたいところへ全ていき、
会いたい人に会い、
食べたいものも全部食べ、
天気も暑すぎもしないし寒すぎもしない、、
そして、そこでしか会えない人々にあって、話も聞けたし。。

この子は無反応で鈍いからなーと神様に思われているのか、わかりやすくハートの雲が出てきたり、虹が出てきたり、あるいは神様を信じてる人ではないはずの、見ず知らずの旅で知り合った人が「これは神様のしわざとしか言いようがないよねえ」などと言われたりします。

復興の途中

もう一つ、
震災遺構を見にいこうよ、と誘ってくれました。

実は、正直震災の足跡をたどるのは気持ちが重く、どうしようと悩んでいました。

なんかつらくて・・。

でも、結論を言えば、行ってよかった、と思いました。
実際に見たら、やっぱり違ったんです。

切り取られた場面場面しか見れなかったけど、仙台空港からずーっと北の方角へ車を走らせていったから、
どれだけ大きな津波だったのかもわかったし、
またそこで10年以上の歳月を経て、復興の途中にある姿も見れました。

時折車を止めて海辺を眺めてみると、
流されて、更地になっても、海は静かに、美しい景色を織りなしていました。
芭蕉が俳句を詠んで旅したその風景が広がっていました。

そして、そこに暮らしている様々な人の生活をみたり、直接あっていろんな話も聞けました。
一番印象に残ったのは、皆、静かで、温かくてそっと人を包んでくれるような感じがする、
そんな印象を受けました。

何となく、そっと悲しみに寄り添っていくことを許してもらえているような感じがしたんです。
それで、ホッとしました。
一緒に同じ空の下で生きていこうよと言ってくれている感じがして、
そうだ私も前を向いて生きていかないとなと、温かさがじんわりと身に染みたんです。

励ましにいって、自分が励まされた、
復興支援に出かけた多くの人達が皆テレビで話していましたが、
私も、何か倒れてしまったままの心が少し起き上がれるきっかけになった気がします。

私も、起き上がろうと努力しないと!

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