聖書はどうして血統を重要視するのか?

聖書の知識

聖書は、旧約聖書も、アダムとエバ、その子供たちの後、ながーい系図が続きますし、
新約聖書も、1ページ目からカタカナの人名が羅列されています。だからとてもとっつきにくく感じます。
そもそも、どうしてそんなに「血統」を大事にするんでしょうか?差別しているみたいでイヤ!という方もいると思います。

今日は聖書と血統について考えてみました。

血を絶やさないために奮闘した女性たち

旧約聖書の世界では、特に家系を重んじました。
血統を重んじる、という法則がわかると、旧約聖書のなんだ?なんだ?と今なら不思議なことも説明がついてくることが多少あります。

たとえば。。。

アブラハムの甥(おい)ロトとその娘

娘二人が酒を飲ませて父との間に子を設けます。
それは、神様を信じる血統を絶やさないためでした。

ヨセフの兄 ユダと息子の嫁タマル

兄が亡くなり、兄の妻が未亡人となったなら、弟が兄の妻を妻としてめとる風習がありました。
創世記に出てくるヨセフの兄 ユダ。
ユダの長男の嫁だったタマルは結局義理の父であるユダとの間に子を設けます。

なんと、遊女(ようするに娼婦ですよね)のふりして、やっちゃえ!ってわけ。こんなのが聖書かよ!ってビックリな事件ですよね!

なぜって?

長男が死んだあと、次男の妻となりますが、次男も死亡。
その後、三男シラが成人後、妻となるのを待ちますが、舅(義理の父)ユダは最後の息子も死んだらどうしようと、結婚させないでいました。
これは血統が絶えてしまう、大変や!と思ったタマルは、実行します。
このユダの子孫がダビデであり、ダビデの子孫がイエス様までつながります。

ルツ

ルツ記のルツも、同じく血統が大事だということを知っていました。
だから、夫が死に、姑(義理の母)ナオミ一人になっても、彼女のそばを離れませんでした。そうしているうち、ナオミの親戚オベデと結婚し、子孫にダビデ王が出てくるようになります。

美しく気高く、強くて優しい母たち

女性は長い間子供を産む道具のように考えられていましたが、一方で神様の使命者となる人々のご母堂(お母さん)様たちは信心深くて芯が強い人たちが多かったのです。
女性の視点で聖書をみてみるのもかなり面白いです。

近年、聖書を親しみやすくしようという試みから、男女の関係などを取り上げる形で聖書の人物を取り上げることもありますが、
一見突飛に見える彼女たちの行動も、時代背景や血統を重んじている神様の御心に従っているという面もあります。
こういったことを覚えていただけると新しい観点になるのではないかと思います。

なぜ神様の世界で血統を重んじたのか?

ひとことでいえば、一世代限りで終わるなんて、ケチ臭いこと言うな!ってことらしいです。

また、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

出エジプト記/ 20章 06節

一代限りで祝福を終えるなんてできないとおっしゃるのです。
私にあなたがしてくれたことは千代(せんだい)に至るまで祝福するというのです。

ユダヤ人は知恵と富に優れているのは今からさかのぼること4000年、アブラハムやイサク、ヤコブが神様にしたことに対する祝福だという人もいます。
神様は一度祝福を与えたら、約束通りに絶対にその祝福を奪うことはないそうです。すごいですね!

ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。

使徒行伝/ 16章 31節

霊的にもつながっているので、1人子孫で神様を愛する人が出ると、先祖たちもみんな霊の世界で祝福を受けるそうです。曰く、「すごい子孫を産んだという功績」なのだそう。

遺伝子レベルで

キリストも、神様の使命者たちも、人間たちの好き勝手にして生まれてくるようで、そうではありません。
長い年月をかけて、何世代もにわたって少しずつ少しずつ遺伝子のレベルで作るような気の長い作業を繰り返しているのです。

差別するためではない

洋の東西を問わず、家系を重んじる世界は多くありましたし、今現在も残っています。

キリスト教を信じない日本人の世界でも、「ご先祖様のご利益」とか、言いますよね?
どこの馬の骨かわからん奴に娘をやりたくないとか・・

時には、人種差別とか、人の尊厳を奪う心無い悲しい出来事もあります。

試験管でいい遺伝子だけを残すんだとか、人造人間を作るなんて言いますが、人間はそんなに簡単ではありません。

キリストのような神様の大きな仕事をするための能力者を作るには、何世代もかけて遺伝子レベルでお造りになるわけですが、拡大すれば、私たち人間の誰一人として「神様のあくなき追及の末の傑作品」として世に送り出されているということを忘れないでほしいです。

イエス様の家系

イエス様はこうおっしゃいました。

天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

マタイによる福音書/ 12章 50節

そうして、新約では、信仰的な血統、つまり、イエス様を信じる人のつながりが血筋よりも重要史されるようになりました。
私たちは文明が発達し、地球の裏側にも1日もあればいけるようになり、移動しなくてもインターネットを通して地球のすべての情報を瞬時に知ることもできるようになりました。

今私たちはもう一度、地球という大きな家族になって、互いを大切にし、神様の愛と平和の世界をなす御心を行うイエス様につながった家族として大きな愛と恵に満ち溢れる、「幸せの連鎖」を起こしていきたいですね!

とはいえ、気になるイエス様の「遺伝子的な」家系については、次回また!

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