イスラエルはこうしてローマの属国になった

聖書の知識

バビロン捕囚が終わり、ハスモン王朝と呼ばれるイスラエルの独立王朝が起こっていましたが、結局ローマの属国になったのが紀元前1世紀ごろでした。この当時のことについて、まとめてみました。

ハスモン王朝の終わりごろ、イエス様の時代にまで続いていたユダヤ教の集団の勢力が増してきます。パリサイ人(びと)とサドカイ人(びと)で、ユダヤ教の一派のような形の集団でした。

サドカイ人

ハスモン王朝で祭司の職を占めるようになった人々が、「サドカイ人(びと)」でした。彼らは裕福でしたが、保守的な信仰を持っていました。
特に彼らは、エルサレム神殿を中心とした儀式を行わねばならないと主張していました。尚、彼らはローマのユダや支配を歓迎したりもしていました。

パリサイ人

こちらも、ハスモン王朝の頃からイエス様の頃までずっと活躍していた集団です。
彼らが強調したのは「律法」。もう一つは、「清さ」を主張しており、生活のどこでも清めることを教えていました。また、「いけにえ」=動物を捧げる儀式、をすることが神に喜ばれるという主張でした。
仏教的にいうのなら、修験道者の多い「密教」(山にこもるとか、滝に打たれるみたいな)のようなイメージでしょうか?

こちらも、ものすごく勢力を持つようになり、政治的な影響力を高めつつありました。

イエス様と対立したサドカイ人、パリサイ人

サドカイ人の集団も、パリサイ人の集団も、イエス様が活躍しておられた時まで、その勢力は相当なものだったと言えましょう。
詳しく書かれている資料は少ないですが、宗教や信仰の蓑(みの)をかぶっていながら裏では、とんでもない集団だったのかもしれません。
イエス様は、彼らに対して、サドカイ人とパリサイ人とのパン種に気をつけよ(間違った教えだから、騙されてはいけない)とおっしゃったり、白く塗った墓にたとえて、口ばかりで中身だない、形式主義者だと厳しく指摘なさいました。
お互いにかなりの舌戦(ぜっせん)が繰り広げられていたといえます。

内部で分かれ争う国は・・

さて、話を紀元前1世紀に戻しましょう。このような新しい集団が勢力を極める中、ハスモン王家の王位継承が危うくなってきました。そこで、王は、外国の勢力に協力を頼んでしまいます。
外国にエルサレムを包囲するとか、いろんなことをやってもらって、自分が王位を継承することの正当性を主張しようとしていたわけです。

しかし、先に挙げた色んな勢力がいましたし、経済的な理由などで外国に移住して富を築いていることで影響を与えようとしている人々もいましたし、内部がとても混乱していたのです。

ところがこの時代は、ユリウス・カエサルなどが登場し、ローマ帝国が産声を上げようとしている激動の時代です。

イスラエルは、諸外国を征服するための中継拠点として重要な場所でしたから、イスラエルを征服することを狙わない国などありません。また、以前よりもっと強烈な外部勢力がいるというのに、今風にいえば「マウンティング」を取るために忙しく、権力争いにうつつをぬかしていたというわけです。

それで、この隙を狙って、古代ローマがエルサレムを征服しようとたくらみ、実際ローマの属国になってしまいます。この後イエス様が活躍した当時も相変わらずローマの属国で、勢力を広げるとともに、重い税を課せられて大変な思いをする羽目になるわけです。

私利私欲に走って後先を考えないでいて、とんでもない苦しみを産むことになった、と言えるのではないでしょうか?それは現代にもあって、思えば人間、2000年の月日がたっても、本質は何ら変わっていないようにも思えますね(汗)

後年、イエス様が出で来られて、「内部で分かれ争う国はたちゆかない」とおっしゃいました。もっと仲良くしていたら、どうなっていたのだろう?と少し気になります。
カエサルの暗殺が、紀元前44年。その後、このローマと手を結んでユダヤに多大なる影響を与えてくるのが、悪名高き「ヘロデ」王です。こちらは、次回をお楽しみに♪

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