パリサイ人とサドカイ人
バプテスマのヨハネが死んだ後、パリサイ人とサドカイ人、と呼ばれるユダヤ教の一派の人々はますます頻繁にイエスを訪ねてくるようになりました。
彼らは皆イエスを「先生」と呼び、聖書に関わる様々なことを質問しましたが、それらは皆、イエスを試そうとして聞いていることでした。
パリサイ人とサドカイ人達は口々に言いました。
「あなたは多くの病を治し、荒波をしずめ、時には死人を生き返らせることまでしたと聞きました。悪霊までもがあなたを怖がって出ていったというのです。
それで人々が皆、口々にあなたが来たるべきメシアに違いないといっているのをききました。
あなたがもし天から来たのなら、そのような奇跡を起こすことはたやすいことでしょう?
神様が送った人であるならそういうことをしなければならないんじゃないか、と言って試して、そういうことをやってください。そうすればあなたを天からきたメシアだと信じます。」
その話を聞いてイエスはあきれてしまいました。
”まったく、この人たちは聖書を知っているというが形式的なことだ。文字面だけを追いかけているだけで、神様のことも聖書のことも何も知らないでいるんだな・・。”
内心そう思いました。
”しかし、彼らが信じても信じなくても彼らにも御言葉を悟らせないといけないし・・。
彼らは何がわかっていないのだろう?”
イエスは注意深く彼らの話を聞きながら一つ一つ分析していったのです。
いったい彼らはメシアを何だと思っているのか?神様は何をしてくれる存在だと思っているのか?
そのような観点で彼らの話を聞いて見れば見るほど、イエスは「話にならない」とおもうしかありませんでした。
彼らが神様がメシアをこの地上に遣わす目的が何かをわかっていないと思えたのです。
メシアは何のために来るか?
「たしかに病を治すことや、肉体の空腹を満たすことも大切だが、すでに死んで何年もたっている人を墓の中から起こすなどは神様だとしても不可能ではないのか?そのような意味では、あなた方が願っているような奇跡をみせることはできない。」
と言いました。
つづけてイエスは言いました。
「あなたがたは、ある病気が治ったり奇跡が起こったり神秘的な歴史が起こることを願っている。けれど、神様はそのように奇跡ばかりを起こして生きるのではなく、この地上で人は朝起きて食べ物を食べ、仕事をして働いて富を得て、夜は休んで、というふうに決まった法則の中で自由に生きられるように創造されているのではないか?
いつも奇跡を起こさなければ生きていけないそのような人生が本当にいいのか?
病気にならないで健康に生きることも神様からもらう祝福ではないのか?そのように、ありふれた日常の中にもっと神様は多く働いていらっしゃる。
それではなぜメシアを神様が遣わすのかあなたがたは答えられるか?」
そのように訪ねると、パリサイ人人サドカイ人は答えました。
「メシアが来て、私たちイスラエルの民を救うためでしょう!」
そこでイエスは言いました。
「そうだ、それではイスラエルの民に必要な救いとは何か?」
すると彼らは静かになったのです。
そこで静かにイエスは言いました。
「メシアが来て新しい時代が来ることを願っているのではないか?
平和で誰にも虐げられることのないイスラエルを願っているのではないか?
そのような平和な時代を神様が下さることを願っているのではないか?
それはどうやってくるだろうか?
あなたがたが考えているようにある日突然天から何かが降ってきて急に変わるだろうか?
そのようには変わらない。
あなたがたが宗教的なリーダーだというのなら、この時代を見分けなければならないじゃないか?
あなた方は夕方になると空が真っ赤だから晴れだといい、また、明け方には空が曇って真っ赤だから今日は雨だ言う。あなた方は空の模様を見分けることを知りながら時のしるしを見分けることが出来ないのか。」
空の模様を見分けるように
どこの国でも同じですが、夕方に空が真っ赤になったら次の日は晴れになるというし、朝、空が真っ赤になったらその日は雨が降るだろうといいます。それはどこの国も同じで、それを空の模様を見分けるしるしとみなします。
これはイエスの生きた時代にもすでにあったのです。
そういうことを見て天気を見分けることが出来るように、時代も見たら分かるんじゃないか、イエスはそのように話を切り出しました。
イエスは「天を見て天気を見分けることが出来るように、時代を見たらどういう時代か分かるんじゃないか」とおっしゃったつもりだったのです。
メシアが来る時にはそれだけ環境の変化が起こるということです。それを知らなかったとひどく憤って叱ったのです。
そして言いました。
「この時代に神様が見せることができるしるしというのはヨナのしるしのほかには見せるものがない」と。
するとパリサイ人達がいいました。
「では、メシアは大きな魚に飲み込まれて3日で生き返るのですか?」
そこでイエスは言いました。
「確かに人の子は3日のうちに死からよみがえる奇跡を起こすかもしれない。しかしそれ以上に大きなヨナの奇跡は、人を生かすしるしだ。ニネベの町の12万人の人が滅ぼされるところだったが、ヨナが述べ伝えたことによって悔い改めて皆生き返った。そのように神の裁きを免れることができない人々を悔い改めさせ、神様の心を変えることができる、そのようなしるしを起こすだろう」と。
それでも彼らは
「それならばメシアは天から軍隊を呼んでローマの軍隊を滅ぼしてくれることもしなければなりませんよね?」などと言い、いくら時間を費やしても話は堂々巡りになるばかりでした。
何時間もの時間を費やしても、彼らは悟れず、帰っていきました。
いえ、正確には彼らは自分の思い込みが強くて、イエスの話をまともに聞こうとしていなかったのです。
だから、話の途中でとんちんかんな質問をしては話が元に戻るばかりでした。
イエスは現実の厳しさをひしひしと感じたのです。
そして思いました。これならば天から神様が直接降りてこられても、神様を感じることができないだろう・・
彼らは信じているというのは名ばかりで、実際は神様と信じていない人と同じぐらいの知識しかないではないか・・。
しかし、救いは救おうとする気持ちを捨ててしまったら、すべてが終わってしまう。
イエスは一人山にこもり祈る日が増えていきました。
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