イサクをプロファイルしてみる

ちえみThinking

アブラハム物語も後半に差し掛かってきました。
そろそろ、モリヤの山でイサクが捧げものとして、今風に平たく言えば父アブラハムに殺されそうになって、間一髪助かるというヤマバがあります。

そこで、ふっとイサクに対していろんな疑問がわいてきたんです。
イサクにとっての父アブラハムって、どうだったんだろう?
そこからイサクについていろいろと想像を膨らませる日が続きました。

イサクはナゼ黙って殺されようとしたのか?

イサクに関しては、父アブラハムにとても従順な子だった、という話が一般的です。
聖書に、イサクが薪などを背負っていけたことが創世記22章でわかりますし、世の中一般的にイサクが捧げられている場面を絵画にしている場面から見ても、5-7歳ぐらいの頃に人柱にされそうになったわけです。

なぜ殺されそうになっても暴れなかったんだろう?なぜその後父から受けたことがトラウマにならなかったんだろう?


勝手な解釈ではありますが、一般的によく聞く話の通り、「イサクはよくわかっていた」と言っていいのだろうと思いました。

5歳、6歳の子に何がわかる?といいますが、
切支丹殉教でこのぐらいの年齢の子で殉教した幼い聖人たちの物語がありますし、今と違って14歳で大人として認めていた中世を考えても、イサクは決して幼くはなかったのだと考えます。

人間は3歳ぐらいに出来上がった自我を一生持ち続けることが多いというのは普遍的な真理のように思います。今この現代も、子供はある程度大人のことをわかっていることが多いように思います。

ただ、身体的な能力としては大人に負けることがあったり、言葉の語彙が年齢の問題で足りないとか、人付き合いの経験が少なくて物事を理解できても処す選択肢を多く持ち合わせていないというだけのことのように思います。

そういう意味では、アブラハムは常々、信仰的な背景が多くあり、イサクは父からも母からも神様については今の私たちよりずっと多くのことを肌で感じてわかっていたと考えるのが自然なのかなと思います。

頑固おやじな父、イサク?

その後、聖書では、イサクはあっという間に結婚し、あっという間に目がよく見えないおじいさんになってしまいます。

でも、今回深く考えてみると、イサクって、頑固おやじだったんじゃないか?って思い始めました。


なぜって、父アブラハムは子供が生まれないからということで妻の意見を取り入れて、日本風に言えば側室というものをめとったわけで、その後も、女性同士の複雑な争いの相談に乗ってあげたりしているわけです。

ところがイサクをみてみると、妻リベカは弟に家督の相続権を取らせるために、「謀」を巡らせるというわけです。それって、話し合いに応じないから、ってことだよね?って思ったんです。
長男は長男だろう?
ってわけで、この当時の時代の人からすれば、譲れないってところだったのかもしれないけど、
現実問題、肉が好きで狩りがうまい、荒々しい雰囲気の長男エサウのほうが好きだったという記述から推測するにしても、雷オヤジだったと考えるのが妥当なのかな?と思ったりしました。

長男を重んじるというのは、現代の私たちから考えたら想像を絶する絶対法則だった可能性もあります。ヨセフが父ヤコブに自分の息子たち2人に祝福の祈りを与えてもらう際も、兄と弟を間違えないようにと促すシーンがあります。

日本だって、昭和の時代父から受け継いだものをしっかりと守っていきたいという伝統や格式を重んじる力も強かったように思います。

神様に対しても、アブラハムは、私のものはすべてあなたのものです、と神様に捧げることを惜しみませんでしたが、
ヤコブは1/10ってルールを基本ラインにしましょうよ、って感じになってくるわけで、そういう計算みたいなのもオレは嫌いだ!って思っていたんじゃないかなーと思います。

強い父、勇気ある母


妻リベカのはかりごとで、兄と勘違いして弟に相続権を与えるサインをしちゃう、
でも、その後、父は、お前なんてことをしてくれた!とか怒ったりはしてないんですよね、、
その前に兄さんがてめえ!ぶっ殺す!ってなってたから、父が怒ってるヒマもなかったかもしれませんが、弟を殺すとか乱暴なことはやめなさい、と兄エサウにたしなめることぐらいはしたんじゃないか?と思います。

今から4000年前、モーセの十戒が出るより前に生きた人です。
殺すな、という法がどれほど画期的な時代だったでしょうか?

父の一言には絶対逆らえない、そんな空気がイサクの家庭にはあったのかなと思います。

一方で、ヤコブの母であり、イサクの妻であるリベカも、めっちゃ勇気あると思います。彼女の血は、親族であるヤコブの妻ラケルにも引き継がれているように思います。

イサクーリベカ夫妻は、見事に一夫一妻で、互いのもめごとというのが一切かかれていないんですよね・・。こういう夫婦って、たくさんあるようで聖書ではおそらくこの1組しかないような気がします。

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