中年以降、キャリアや健康問題等で将来に行き詰まりを感じて、「人生、詰んだ」といった状況を「ミドルクライシス」と表現するようですね。
ピンチはチャンス、そう考えよう!
思わぬ形で来月から、業種転換。
21年もの長い間、IT業界にどっぷりつかってきた私が、ひょんなことから、経理や事務をすることになったんです。
キャリアがもったいない、と言ってくださる人もたくさんいましたが、
私としては、
21年やっても、これぐらいしか芽が出てないし、
こう何度も体調壊してきたことを考えると、どこかで無理がある、
人生100年時代ともいうし、今が年貢の納め時か、と決断しました。
周りは心配しているわけですが・・心配をよそに、ピンチはチャンス!ダメならまた、違う道を探すよ!と言ってのけた私。
最初は不安だったけど、だんだん前向きになっている私。ちょっと心配だけど、なんとかメンタルも生活もマネージメントしながら前へ進もうとしてるところです。
思ってもいないことがキャリアであり財産
退職願いを出した後、引継ぎの手続きに入りました。といっても、引き継ぐことって、あまり、ないような・・と思っていましたが・・
職場の同僚たちが、
「久喜さん、やめる前にさ、 久喜さんがつくって説明してくれてた、あれ、僕に頂戴」
と言われたのです。
あれ、とは、私は理解するのが遅いし、すぐ忘れるから、と先輩に確認するのに、わからないところを明確にして聞く、そのために作った資料のことでした。
ずっとほしいなって思ってたけど、言いづらかったんだそうです。
Wow!捨てるところだったよ!私にとってはメモの走り書き、でただのゴミファイルぐらいにしか思っていなかったし・・。
といったら、同僚が、「それ、どんなところへいってもすごいノウハウだと思うよ!ノウハウだから譲りたくないって思って僕には教えてくれないのかと思ってた!」などと のたまわる・・。
えー、そんなのがノウハウなの?それで、こんなのも、いります?と聞いて見たところ、
「そっか、そうやってやるなら、めっちゃ仕事速くできるやん!」と言われた。
大した仕事してないと思ってたけど、21年もこの仕事をしてたら、それなりに何かはあるんだ・・。と思えて、うれしくもなった瞬間でした。
鈍いのはいいことですね、と言われた
最近、もう一つ、うれしかったことがあったんです。
私の悩みの一つ、「鈍い」こと。性格的に、っていうもあるのですが、それ以上に、肉体の神経?が鈍いんです。すなわち、「痛みを感じづらい」んです。そのため、かなり負荷をかけても、大して疲れないんです。ただ、身体にダメージがあっても気づかない、それすごく気にしてたんです。
こういう背景もあって、医師に「私、痛みに鈍いんです」と伝えたんです。鈍いなりに、違うシグナルでもって、異常を発見するのにはどうすればいいか、それを聞くために・・。
ところが、医師は即答で
「ほう、それはいいですね」と。意外な答えに拍子抜け。と同時に、すごくうれしかったんです。
身体が痛みに鈍い分、回復も早いし、薬も効きやすい。医者も痛くないように、あれこれ気を回さなくて済むから、処置しやすい、ということがこの、「いいですね」の回答の背景のようです。
定期的に血液検査などをしてデータを駆使していけばいいし、普段から気になるのなら体重や血圧、体温を測りながら数字で見ていけばいいとのこと。
シンプル イズ ベスト
このお医者さん、患者に合わせて対応を変えている可能性もありますが、説明は少なめ。診察時間もいつも短いです。
それは私が今まで何度か手術をお願いした別のお医者さんたちにも共通する特徴です。
あんまり聞いたことがない病気だったので、知らないことが多く、説明を丁寧にしてほしい、という患者さんもいるかもしれません。
あるいは、不安な心のひだに寄り添ってほしいといったことを重要視する選択方法もあります。
なんだけど、私の場合は、「はい、大丈夫!」とスカっとシンプルに進む感じがお医者さんとしては楽なんだと思います。
そういう医者が好きだと思うのは、「シンプル」なことに対する私なりの価値観が影響しているとも思いました。
医者って、決してシンプルになり切れる状況じゃないと思うんです。
だけど、そういう難しいことを乗り越えてシンプルになる、っていうのは、緻密な研究や多くの経験を経て、余分なものを究極的に削って磨いた極まった形がシンプル、
私の中にそういう考えがあるんだと思います。
だから、いつも笑顔を維持して、スパッと迷いなく人の体を切って生かす方向へもっていく、という人に自分の命を預けたい、と思うのが私の傾向なんだと最近わかりました。
曲がり角で重荷を捨てる
私自身も、病気をして、鳴かず飛ばずで、
ミドルクライシスそのものだよ、と思いましたが、
最近、気分だけはクライシスを抜けつつある、そう思うんです。
それは、手術で悪いところを取ってしまったのと同時に、
いろんなしがらみを捨てていって、シンプルになってきてるからかな、と思うんです。
結婚しないと一人前じゃない、とか
独身だったら、なんかもっとお金を稼がないといけない、とか、
大学まで出たんだし、出世してないと、とか、
教会のことだってもっと先輩らしくしないと、とか
そういうのもあるし、
でも、一つもできてなくて(笑)
でも、一連の出来事を通して考え始めたんです。
主の前ではいろんな重荷を捨てないといけないんだな。
でも、そうしたら、きっと・・
曲がり角を曲がってその先、
晴れの日がまたやってくるんだと思っています。
聖書の中で、主が、「私のところへきて、重荷を下ろしなさい」っておっしゃってくださいました。
今がまさに、重荷を下ろすときなんだ。そう思っているこの頃です。
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