イエス様物語(13) ~天国の種、御言葉~

聖書の人物

悩みと心配、苦痛の中にいる人々

イエス様の周りにはいつも、心配する人たちが押し寄せてきました。
対話していると、一日があっという間に過ぎていきます。

「ああ、どうして人々の人生は不安と焦りに満ちているのだろう?
食べたいだけ食べ、住みよい家に住み、美しい着物を着て豊かに生きたとしても、悩み、また悩みが押し寄せるのだという・・。
心配、悩みなしに生きていくということは本当に難しいのか?
どうして神様は悩みと苦しみの人生を作ったのだろう?」

そう思いながら、出会った一人一人の話を思い出しながら、丁寧に神様に告げ、問題が解決できるように夜を徹して祈る日々が続きました。

「私イエスも不安と焦りの中で生きていた・・。
現実の世界を見て不安がるより、まだ見ぬ未来のことを心配していたんだ・・。
しかし、今となっては神様の前で感謝することしかない。艱難がむしろ私を全能なるエホバと近くさせ、人生の深みを知らせ、神様の御心をなしていけるようにしてくださったとさ折ったから・・。」

その時ハッとしました。
”そうだ、人間の大きく根本的な悩みは人間には絶対解決できない!”

イエス様は気が一層引き締まる思いがしました。
「そうだ。神様の御心を知ってこそ、人は知らないことからおこる不安がなくなる。
そして、神様は暗闇の底の中にも共にして、全知全能な神様の存在をその人に知らしめるのだということを、私がはっきりと教えなければ!
それこそがまさに、天国の第一歩ではないか!」

天国はあなたがたの心の中から始まる

それで、イエス様は、天国について語りました。
「神様に天国をくださいと言って待ってばかりいてはいけないんだ。
天国は天から降ってくるのではないから・・。
天国に行くそのような生きる道を歩いていかなければならない。」

そうして、御言葉を続けました。

「人々は山の向こうに幸せがあるといって山を登る。人生の山、苦しみの山、苦悩の山、煩悩の山を越えて、その向こうに幸せがあると言って・・。
けれど物質や富、栄華よりも心が問題だ。天国は心から始まるんだ。
でも、自分だけがうれしいのではなく、すべての人が認める天国、つまり神様の御心を成し遂げられる理想的なところを求めていかなければならないでしょ。
死んでから天国へ行くのではなく、生きているときに天国に入るにふさわしい人間に作らないといけないんだ。
あなたの心考えをつくりなさい。」

こうして、イエス様はいつも、その心の中に神様を想い、神様の御心を悟ろうと努力することをいつも強調されました。

神様の火を地上に投じるとは?

イエス様は、間違った考え方が人を死に追いやるということを痛感するようになりました。

「お前がメシアか?メシアならイザヤ書に書いてある通りに、雲に乗ってみよ!
そして、剣を振りかざして悪人を見つけ出し、地上に火をつけて回るというその預言はどうなったんだ?」と・・。

初めてその話を聞いたとき、話にもならない話に呆気にとられ、声も出ませんでした。
頭の中では、
”神様が創造された尊い命、そのすべての命が寿命通りに生きて永遠な天国で生きることを願っているのに、どうして火をつけなければならないのか?
雲に乗って何の意味がある?そんなことより、食べ物を与えて飢えている人を死なせないようにしてあげることがもっと大事じゃないか!!”
と、ぐるぐると考えが回っていきました。

そうしてやっとのことでいいました。
「文字通りに火をつけて回って何の意味がある?文字通りの火で燃やしたのなら、灰になって無になってしまうじゃないか!」

それでも、火を見せろと叫ぶので、イエスは言いました。
「確かに火だ!火を投じる!でも、文字通りの火じゃない!エレミヤ書にあるように、メシアは心に熱い火をともすために来たんだ!その熱い神様の心が言葉になって、心に燃え続けるその火だ!人間は心が熱くなければならない。あなた方の神様を想う熱い心が燃えていたなら、御言葉を愛し、神様を愛し、人を愛する心が燃えていたのなら、火をつけるのがメシアだなどとどうして考えられるのか!」

思わず熱く叫んだのです。

まず神の国とその義を求めなさい

イエス様は、ついてくる弟子たちに、”「御心」とは理にかなった生き方だ”と教えました。

「人は、地に足をつけずに生きていくことはできない。
しかし、地に埋もれていても、生きることはできない。」

盲目的にならず、神様の法則を正しく知って生きることを強調されたのです。

そうして、いつも言いました。

「神様は”秩序”の神様だ。”秩序”とはなんだろうか?
”順序”だ。朝が過ぎて昼がきて、昼が過ぎて夜が来る。
冬が過ぎて春が来て、春が過ぎて夏が来て、夏が過ぎて秋が来る。
木は、種を植えてこそ芽が出て、芽が出てこそ成長し、成長してこそ実をならせる。
そのように、段階を経て初めて物事はうまくいくのだ。
あなたの考えはどうか?まかないところから刈り取り、自分にも人にもこの世の法則に合わないやり方で物事をすすめていいのか?」

そういって、弟子たちを静かに、しかし鋭く指摘なさることもありました。

「山で長い時間祈りに捧げて、幻を見れば神様のことを知っているというが、断じて違う。
心配、悩み、憂いでそれに溺れて、そればっかり解決しようとすれば、早いようだが、違う。揺れる葉をいくらつかんでも、風が吹けばまた揺れる。
根本はどこにあるだろうか?
栄えたい、
病が癒されたい、
問題を解決してほしい、
様々な願いを持っているかもしれないが、
そのような祝福の根源は神様だ。
だから、祝福のおおもとである神様を知って信じなさい。
神様を信じて徹底的に暮らす、そのような奇跡を神様に見せるとき、
神様も人間に奇跡を見せるから。
これは、当たり前のようで、大きな神様の秘密だ・・。忘れないでいなさい。」

静かに優しくそっと語るのに、大声で叫ぶ人よりもずっと力強く心に響いていくその声は、人生の大海原(おおうなばら)を生きる柔らかくも強い一本の命綱のようです。
そうしてまた、祈りに深く入られるイエス様でした。

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