聖書では神様の意思を問う時によく「くじ」を使っていたようです。
人はくじをひく、しかし事を定めるのは全く主のことである。
箴言/ 16章 33節
神様がお決めになられることだと思っていたのか、くじによって決めれば争いがないという考えもあったようです。
くじは争いをとどめ、かつ強い争い相手の間を決定する。
箴言/ 18章 18節
歴史上数多くの事がくじを持って決められました。
ただし地は、くじをもって分け、その父祖の部族の名にしたがって、それを継がなければならない。
民数記/ 26章 55節
カナンを征服したイスラエル民族がどこへ住むかくじで決めました。
祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。
ルカによる福音書/ 01章 09節
イエス様のいとこにあたるバプテスマのヨハネに関して、ヨハネの父ザカリヤが啓示を受けた時のことです。
神事を行う順番などもくじで決めていたことがわかります。
それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。
使徒行伝/ 01章 26節
12使徒であったイスカリオテのユダがイエス様を裏切ってしまい、代わりに使徒を選出する必要がありました。しかし、イエス様は亡くなられていたため、くじでマッテヤが選出されました。
くじは、古代から神様を信じる人に限らず広く行なわれていました。
彼らも信じている神は異なっても、くじを通して天が真実を暴いてくれると考えていました。
やがて人々は互に言った、「この災がわれわれに臨んだのは、だれのせいか知るために、さあ、くじを引いてみよう」。そして彼らが、くじを引いたところ、くじはヨナに当った。
ヨナ書/ 01章 07節
ヨナが神様の命令に逆らって裁かれるニネベに行くなんて嫌!と船に乗っていったら大嵐に遭遇しました。
大嵐になっているのは神の前で悪いことをしたやつがいるんだ、と船に乗っている人々が言い出し、犯人はどいつだ?とくじ引きが始まったのです。
見事、ヨナがくじで選出され、ヨナを海に放り投げたら嵐は静まりましたとさ・・。
そのほか、神様を信じない人も、くじにより互いに公平感を出すために?くじで決めていました。 現在の宝くじのような感覚だったと思います。
それから、イエスを十字架につけた。そしてくじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、イエスの着物を分けた。
マルコによる福音書/ 15章 24節
イエス様を処刑した兵士たちが、くじで遺品を分けていったというわけです。
どひゃあ・・・。
日本でも、おみくじ、宝くじなどありますよね^^
欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分の所に来ることを知らない。
箴言/ 28章 22節
宝くじに限らず急展開で富を得ようとしてはかえって貧乏になるという聖書の戒めです。
何やら、宝くじで高額当選した人のその後って、不幸になる人の確率が多いのだとか・・
お金にだけ豊かで心が貧しかったらつらいですね。。
それならば、心が豊かでお金が貧しい方がまし。
でも、物心ともに、豊かな人生が尚、うれしいでしょうね^^
コメント