死海文書とマカバイ記

聖書の知識

現存する聖書の完全な写本で一番古いものが「死海文書(しかいもんじょ)」と呼ばれるものです。それまでの聖書の完全な写本は、10世紀のものが最古といわれていましたから、1000年以上さかのぼったことになり、歴史上大きな発見となりました。

聖書外典(がいてん)ーマカバイ記

聖書といえば、1冊にまとまっているというイメージが強いですが、以前は1巻、2巻、と何十巻もの巻物でした。外典として有名なものにはいくつかありますが、マカバイ記もその一つです。マカバイ記を「旧約聖書の続編」、と呼ぶ人もいます。

この書物は、「マカバイ」という人物が中心で、七十人訳聖書の後の時代に出てきた人だからです。

マカバイが出てきた政治的背景

七十人訳聖書が出てきた後、セレウコス王朝という古代王朝が誕生します。
紀元前175年頃には、アンティオコス王がユダヤに共通の文化と言語、宗教を押し付けることを狙って、
非ギリシャの宗教を全面禁止しました。
これにより、ユダヤの唯一神に対する信仰は弾圧され、逆らう人は八つ裂きにされて磔にしたという歴史書の記録があります。

この流れに立ち上がったのが、マタティアというユダヤ人でした。彼がユダヤ人を多くまとめあげ、3人の息子によってハスモン王朝を誕生させます。
このマタティアの死後、指導者として活躍したのが、ユダ・マカバイという人物です。

このハスモン王朝は100年ほど続くことになります。
しかし、大祭司の決め方について不満がおこり、争いが多く起こるようになります。
不満の原因は、血統。大祭司はモーセの時から血統を重んじて決めるとあるのに、それを無視して決めていたことに失望したのでした。
こうしたことを背景に、エルサレムの権力争いが果てしなく続くようになります。

繁栄しながらも滅亡を常に意識せざるを得ないまま時は流れ、ユダヤはついに、ついにローマの手に落ちるようになったのが紀元前70年頃でした。

マカバイ記の主な影響

最も大きいのは「復活」に関する教理です。
死者が復活するといった記述はマカバイ記に見られ、これが現在のキリスト教にまで脈々と受け継がれています。

イエス様の時代にも、「復活ということはない」と主張する教派があり、イエス様のところへこの教理の問題を持ってくる場面が描かれています。

エッセネ派

繁栄はしたものの、大祭司の決め方に根強い失望と不満を抱いていた一つの集団が「エッセネ派」でした。
彼らは砂漠の土を耕す重労働に従事しました。そうして、禁欲的な生活を送りながら聖書を朗読し、律法を学びました。
このエッセネ派は、バプテスマのヨハネやイエス様も属していた派だとする説もあるようです。
尚、この人々を別名「クムラン教団」と呼んでいた、とする説もあり、彼らが死海文書の製作者だといわれています。
(この2つの学説は現段階では推測の域を出ていないようです)

死海文書

先に挙げたクムラン教団では、ヘブライ語聖書のほぼすべてを書写した巻物を所有しており、使わない時は素焼きの大きな壺に保管していました。
紀元前68年、ローマ軍がユダヤ人反乱のために近くに迫ってきたとき、この壺を近くの洞窟に隠しました。
これがそのまま忘れ去られており、1947年、近くの羊飼いが迷った羊を探しに来て偶然発見されました。1948年にイスラエルが建国したわけですから、長い長い眠りについていた聖書が再び目を覚ますと同時に、なにか時代の変わり目を予感させる出来事ですね^^

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