聖書って読まなきゃいけないのはわかるんだけど、「日本語がわかりづらいよ!」という話をよく聞きます。わかってるつもりでも、国語辞典を引いたりして、意味を考えつつ進むとなかなか、面白いです。それで、今回詩編を研究してみようということになりました。今日はその第一回
第1篇 (口語訳抜粋)
1:1悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2このような人は主のおきてをよろこび、
昼も夜もそのおきてを思う。
1:3このような人は流れのほとりに植えられた木の
時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、
そのなすところは皆栄える。
1:4悪しき者はそうでない、
風の吹き去るもみがらのようだ。
1:5それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。
罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
1:6主は正しい者の道を知られる。
しかし、悪しき者の道は滅びる。
今風に言葉を言い換えてみると
悪だくみを行わず、
罪を犯さず、
人を馬鹿にしない人は幸いな人です。
このような人は主が定めた掟(である御言葉)を喜んで、
いつもその御言葉を考えます。
このような人は、
川が流れるそばに植えられた木が
(いつも水と肥沃な土に恵まれているので)
時になれば実を結び、葉もしぼまないように
行うことすべてが栄えます。
悪い人はそのようではありません。
彼らは風に吹き飛ばされてしまう もみ殻のようです。
だから、悪い人は神様が裁くときに耐えられません。
(もみがらのように吹き飛んでなくなってしまいます。)
罪のある人は正しい人が集まるところに一緒にいることはできません。
主は正しい人の道(行い)をご存知です。
しかし、悪い人の道(行い)は滅びます。
単語メモ
漢字は、「嘲る」と書きます。
見下す/見くびる/侮る/見下げる/卑しめる/蔑(さげす)む/貶(おとし)めると似たような意味です。
相手を低く見てばかにする。ということです。
「ざ」と読みます。
座る場所。座席。を意味しますが、
英語でいうポジションといった意味と近い使い方でもあります。
「座を占める」「座に着く」といった日本語があり、「妻の座」とか「権力の座」といった使い方をします。
他にも、多くの人が集まっている席。集会の席。また、その雰囲気等をさすこともあります。
「宴会の座について」といった使い方です。
ちなみに・・神様がお座りになるところを「座」と表現したりもするんです。
この表現で1本、とか1束といった形の単位で「座」が使われるところもあります。
それが「山」 1座、2座といった使い方で山の数を表現したりもするのです。
神様が高いところにお座りになられる、つまり山という意味です。
聖書では「山」を聖書では、山とは「王」を意味したりもしました。
山は地より高いですから人より高い位についている人、つまり王が「山」ということです。
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