詩編1編

日本語が難しいといわれている詩編を現代語訳にしてみました。詩編を続けていこうと思います。

口語訳 現代語に訳 備考
1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。 悪い人の計略に乗って行なうことをせず、罪びとの道を行かず、(人を)馬鹿にして悪く言ったり笑ったりするようなことをしない人は神の祝福を受ける。

[あざける]
馬鹿にして悪く言ったり笑ったりする。

[はかりごと]
うまくいくように前もって考えておく手段。計略。もくろみ。

2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。 このような人は、そのおきて(神様の法)を喜んで(聞いて)、昼も夜も掟を心にとめて考える。 ※おきてを思う→後述します
3 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。 このような人は、川の流れの岸(ほとり)に植えられた木のようで、時が来れば実を結び、その葉もしぼまないように、すべての面で栄える。  
5 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。 悪い人はそのようにはならず、風が吹いてくると吹き飛ばされるもみ殻(お米などの穀物を精米した時に出る皮の部分)のようになる。  
6 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。 だから、悪い人は(神様の)裁きに(裁きをうけて)耐えられない。罪びとは正しい人の集まりに一緒にいることができない。  
7 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。 主は正しい人の道をご存じだ。しかし、悪人は滅びる。  

 

おきてを思う

新教会共同訳では、「 主の教えを喜びとし/その教えを昼も夜も唱える人。 」とあり、「唱える」とありますが、

英語では「meditate」を使っており、どちらかと言うと「瞑想」「黙想」の意味が強いと思います。

ですから本当は、思う、というほうが訳が近いように思います。神様の御言葉を胸に抱いてかみしめながら生活していくというような意味のほうが強いと思います。

なので、おきてを胸に抱(いだ)いてかみしめる。

といったような感じが本来の意味ではないかと・・・。

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