私だけの記念日によせて

ちえみThinking

今日7月第一週の日曜は、私が初めてこの教会で日曜日の説教に出た日。以来、私は、この日が私の中で特別な記念日に思ってしまう自分がいます。1月でも12月でも年度初めでもない、この日が、なぜか今後1年のいろんなテーマを決める主題のような御言葉を楽しみにしている自分がいます。

初めての御言葉

みんな初めて礼拝に来た時の御言葉がその人の一生の主題になるといって大切にしていらっしゃいます。

例えば、私の知り合いの牧師さんは「心配を主に任せなさい」だったので、いつも心配しない、というテーマなんだとおっしゃるし、

ある人は、「神様に感謝しなさい」だからいつも感謝する、と・・。

でも私・・・・「裁き」ってタイトルのつく御言葉だったんです。うーん、、、(笑)しかも普通の人なら、もう少しバイブルスタディを学んでから、主日礼拝に出るのに、牧師さんが、どうせなら早くでてもいいよね!とおっしゃって、2-3個しか学んでいないのに、教会の礼拝に出たという、当時としてもとても珍しい人でした。

そうやって早く出たというのに、「裁き」って・・・(笑)

私は神様は「裁き」をするっていうから、嫌いだと思っていたんですよ。当時。それなのに、、、(笑)だから、御言葉を聞いている途中、私には神様を信じる資格がないといわれている感じがして、すごく心苦しかったような記憶があります。

後年、振り返れば、私、小さいころなぜか、「歴史の影」になりたい、って願っていたことを思い出し、神様が愛と平和をなしていく歴史、について話してくださろうと、とてもスケール大きな話の中に神様の哀切な心と深い慈しみと愛を感じてもらいたくて、この御言葉をはじめに、とおっしゃってくださったような気がして、それも私のこの記念日を一層重い深くさせてくれる理由の一つになっています。

私は本当に変わった人間

もうすでにお気づきだとは思いますが・・、私、本当に変わってるんです。個性的という言葉が柔らかく言われることもありますが、普通、と言われたことがほとんどないです。

私はそれ自体がすごくコンプレックスでした。今振り返れば、おそらく、ADHD。その分、特異的な能力がある反面、突出して欠けている人間でもあるということだけはよくわかっていて、理解してもらえない苦しみをずっと抱えてきたと思います。

そもそも小さい時、誰かと話をする必要性を感じていませんでしたから、友達が当然いませんでした。自閉症を心配した両親と小学一年生の時の担任の先生が、私に本、文学の世界を紹介してくれるようになり、以来、日記を書いたり本を読むときが至福の時間でした。その名残で今も雨の日が大好きです。「晴耕雨読」と言います。雨になれば部屋にこもって本を読んでいていいと思うとすごくホッとするのです。

何より、一番コンプレックスだったことは、信仰に興味があるということでした。だから、特定の信仰にはまりたくありませんでした。小学校3年生ぐらいのとき、すでに、「カルトでもない、既存の慣習にとらわれているわけでもない、科学と信仰が見事にマッチしたそういう信仰があるんだったら私はそこへ行きたいのにな」と思っていました。子供ながら世の中は金と酒と女だ、つまらないと思っていたし、宗教は善人を装って金を巻き上げ人を踏みつけると思っていました。だから本当に変わっていました。

ですから、当然、小学生の友達などできるはずがありません。そして、当時はSNSなどない時代ですから、遠くに友達を得ることだってできません。ただ、本だけが私の友達という本当に暗い子でした。

自分がこの教会に通っているというと、イメージ悪くなるんじゃないかとずっと心配していました。だから、10年、15年と教会生活が経過しても言えませんでした。

私たちの教会では見た目も学歴も性格も優れている多くのきらびやかな人がいて、私はまた、教会でも浮いていました。

今なお、浮いていて、大人になったので、娘や息子のような年代の若い人たちを覆ってあげることは多くても、やっぱり友達は少ないように思います。

普通って何?

いつも言い返せない一言、それが、「普通って何?」です。

近年の有名な哲学者 マルクス・ガブリエルが、日本の文化を「同調的圧力」という言葉で表現しています。「普通たれ」という言葉です。オンリーワンとか、個性を尊重などと言いますが、そのようなことがしっかりと浸透しているのなら、SNSでの誹謗中傷などはないし、何を信じていてもそこまでいろいろ言われるなどということもないと思うわけです。

何か言われたら大変だから、と口をつぐまざるを得ない私たちの日本文化。いいところもたくさんありますが、もしこの御言葉に出会ってなかったら、きっと、今頃私は骨壺の中に入って土の中に眠っていただろうなと思います。自分でこの世が嫌になって命を絶ったかもしれないし、酒を飲みまくって病気になって死んだかもしれないし、そんな風に思います。

母は、私が教会にいかなかったのなら、きっと今頃結婚して子供もいて、もっと幸せに生きたはずよ、と言ったりもします。それは私にもわかりません。正直、私がここにきたのだって、天から降ってわいたような縁があってきたわけで、知らなければ知らないなりに過ごしたというだけのことじゃないかと思います。

ほかにもいろんな教会あるでしょう?と言います。いろいろ探してはきたけれど、タイミングよく今の教会に出会ったんです。これは否定のしようがない事実だと思います。

初めて御言葉を聞いた日の衝撃は今も・・

実は小学生の時、たった一人だけ親友がいました。本来は彼女が私の伝道者なのです。いつも祈る信仰的な人で、彼女も年齢からすればとても変わっていて、神様の事、イエス様のことなど、二人で下校途中に深く話し合い、1時間2時間土手に座って話したりしていました。彼女は私より信仰的な人だったので、途中ではっと神様を感じて、祈りを始めたりするような、今思えば不思議な小学生2人だったのです。

でも私は当時から本当に誰にも言い出せない大きな疑問がありました。十字架で亡くなった時の生々しいイエス様の姿を見るのがつらくて教会に行きたくありませんでした。人が死んだのに、どうして喜んでいられないと思っていました。ほかにも、聖書のあれやこれやと気になることばかりでした。なんで果物を食べただけでそんなに怒るんだろう?とか、死人が生き返っても別に私はうれしくないとか、神様が決めたレールの上をいきるっていったって、うーんとあれもこれも思っていました。

そうして、祈ってばかりいて人生は本当にいいだろうか?実際に畑を耕し、飢えている人のために食料を作って届けてあげてこそ解決するという考えの持ち主でした。

でも、人間の力で解決できないこともあるし、人間が互いの立場を主張し会っている世界でどうやって調和するんだろう?と思うと、信仰や神様の力を無視して理屈だけを追求して解決することがどれだけあるんだ?と思っていました。

まず、イエス様を殺した悲しい道具が十字架だから、あまりネックレスとかではつけないようにしてる、という牧師さんの話を聞いて、この教会にすると決めました。ある意味私は、伝統的なクリスチャンではなかったから、意味もわかってなくて、人間らしく愛をもってイエス様を尊敬して大切にしておられる姿に何より感動したし、実際的だと思ったのです。

そして、聖書のいろんな気になることがあれ、これ、と出てきました。待ってましたというと、ただでさえ変な人だと思われているのに、また変な人だと思われると思って、相変わらず黙っていました。

でも本当にその日の衝撃が今もまだ続いていて、その時の感激が今もなお続いていて、正直それだけでもうれしい人生だといえるわけです。

名誉も富も、一時だから、それよりは、人間としての真価を高める生き方をしたい、とずっと願ってきたんだと今になれば思います。

正直人に勧めて、あれやこれや、とか、神様はいる、いないとか論理的に説明することは、実はとても苦手です。なぜなら、ずっといないと思ったことがないし、この御言葉が正しいかどうか、とか迷ったことが実は一度もないからです。

単純なのか?と言われると、それは私もわかりません。なぜなら、私は自分の胸の内を思い切って話すことは今でも、年に1-2度ほどしかないし、今までじっくりこういうことについて話したことは実はないんです。

でも私が皆さんに一つだけ言えるとしたら、ピリポのように「来て、みなさい」というしかないし、それ以上の言葉を持っていません。「百聞は一見に如かず」と言います。私なら、そうすると思います。意外に、私、自信があったんだと思います。見て判断する、と、判断できる目を自分は持っていると思っていたんだと思います。若いのに・・(笑)

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