元の名はサウロ
ペテロは、イエス様に、岩を意味するペテロ、という名をもらいましたが、
パウロの元の名は、サウロ。
実は、彼は、自分で自分の名前を変えました。
サウロとは、大きな人、
日本人ならば、大と書いて、まさるさん、とか、
大介さん、とかいう感じでしょうか?
それを、パウロ、とは、小さき者、という意味。
主の前て私は、小さな人です、という意味で、パウロに改名しました。
日本人ならば、小介さん、みたいな感じでしょうか?
パウロの改心
パウロは、ユダヤ教を信じていた熱心なユダヤ教徒でした。
ですから、エリヤって誰?とか、聖書なんてあまり縁がなかったペテロたちとは違い、ユダヤ教の聖書に精通していました。
それで、当時のユダヤ教の人に同じく、イエス様を信じるキリスト教は、今でいうならば、カルトだ、ぐらいに考えていて、男女の別なく彼らを殺さなければ、ならない、と考えていました。
いわゆる、クリスチャンを迫害する立場でした。
が、ある日、ダマスコという地にクリスチャンを捕まえて殺しに行こうとしている最中、イエス様の霊に出会い、ました。
一説には、てんかん、の発作をよく起こす人だったと言われていて、このときも、てんかんの発作で倒れた時の出来事だったと言われています。
で、
なんやかんやありまして、、
アナニヤのところへ行くようになり、そこで、イエス様のみことばを聞くようになりました。
そして、、
悟ったわけです。
自分が反対している人がまさに、自分が探し求めていたメシアだということを。
そして、その人は、すでにこの世の人ではなく、この世では会うこともかなわず、ただただ、祈りにより霊の世界に入って行って出会うしかない存在になってしまった、
このあまりにも悔しい現実を引き起こしたのは、まさに自分だった、と。
自決したくなるほど、悔しかったでしょう、という説教を聞きました。
しかし、彼は、前を向いて、
恥をかなぐり捨てて、イエス様を信じる人になりました。
ひたすら まっすぐに
しかし、考えても見てください。
自分を殺しに来た人を、いきなり出迎えて、使徒と呼ぶまでに、初代クリスチャン達は彼を敬遠しまくりました。
なかなかコミュニティに馴染めなかったに違いありません。
また、元いたユダヤ教の人たちからは、きっと、裏切り者と言われたに違いありません。
それでも、新約聖書の後半、ナントカ人への手紙とか、ほとんど彼が書いたのです。
普通に、手紙って感じでかいていて、パウロ本人は、これが聖書になって、2000年も読まれるなんて、思ってもみないことだったかも知れませんね
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