イエス様物語(9) ~サタンに勝利~

聖書の人物

ヨセフの教え

イエスは幼いころから祈りが好きでした。

父ヨセフは大工の仕事を手伝わせながら
「仕事をするのなら、よく見てよく考えてしなければならない。
同じように見えても木は一つ一つ違うんだ。」
そのようにもイエスを教えていましたから、イエス少年は物事を深く突き詰めて考えることが習慣になっていました。

余りにもいろんな質問をするので父ヨセフも母マリアも
「なんでも神様にお聞きなさい」と言いました。

それで、より一層祈りを深くする人になりました。

人間は万物の霊長だというが、馬より早くも走れないし、あの木々よりずっと早く死を迎えて土になる。
それなのに何が優れているのだろう?

ずっと祈っているうちに、「考え」は馬より早いことを見つけるようになりました。
祈りながら、祈りによって考えを整理し、進んでいるだけではなく、「神様」が新たな考えを知恵としてくださり、新しい自分を見つけることができるのだ、と悟るようになりました。

このように、いつも答えが出るまで祈り、聖書を読むことを繰り返しながら、一つ一つ確認しながら聖書を深く読み進めていったのです。

人間は考えが命

「この斧で木を切れば丸太ができるし、
 丸太を削ってアーモンドの花飾りを作ろうと削れば花の飾りになって生きるし、
 椅子を作れば椅子として使われて生きる。
 丸太のままならどうだろうか?ずっとここに横たわって眠っているばかりだ。
 イエスよ、それと同じで人間は作られた通りに使われる。
 行った分だけ得られる。忘れるな」

そうやって祈りばかりしないで、と言いたかったのですが、祈りは一層深くなるばかりでした。

いつも飢えに苦しむ毎日でしたから、腹いっぱい食べて好きなだけ眠るのが天国だ、と最初は思っていました。
羊を飼い、牛を飼い、豚を飼って、
いなご豆や小麦を植え、ぶどうやいちじくを植えて、飽き足りるほど食べていけるのなら、それが救いではないのか?
そう思っていました。

しかし、大人になるにつれて様々な人々に出会い、金持ちになったと思ったら急に亡くなる人や、
お金はあるのに病気で苦しんでいてつらかったり、さまざまな人を見るようになりました。

お金だけが自分の人生を豊かにしてくれるのではないのだな・・・
人は何のために生まれ、何のために生きるのか・・
深く考えるようになったのです。

人間は「心」が幸せでなくてはならないんだ。
その心を作る原動力は何だろう?

祈り、また祈っていました。
そうしながら、自分の考えの限界を超える大きな最高の師匠は神様ではないか?と思いました。
神様の考え、それを持っていたら自分はものすごい人間になれるのではないか?
そう思って生きていくようになりました。

待っていたメシア

そうこうしているうちに、人間は、肉体は早く死んでしまうが霊は永遠に生きるということを、聖書を通して見つけたのです。
神様と長く通じることができるもの、それは肉ではなく「霊」なのだ。

この霊に関する発見はとても大きいものでした。
こうして、祈りながら霊的な世界に目が開かれるようになりました。

「神様の人間に対する切なる思いを代弁し、人間が神様の知恵をもらって生きていけるように変えていく、そんな人間になろう」
そう思ったのです。

ある日、
「私が一番願うことは何か?生きているとは名ばかりで、心が魂が死んだようになっている人を生かしてくれることだ」
という言葉が浮かんできました。

「それがメシアじゃないか?」
「つまり、そうしようとしているあなたが、それじゃないか?」
そのような声がはっきりと聞こえました。
一瞬、自分はおかしくなったのではないか?と思ってすごく慌てました。

しかし、何度考えても、
まぎれもなく、何度も聞いた神様の声だったのです。

聖書に登場するギデオンが、自分が使命者だというしるしを見せてもらって信じたではないですか?私もそのようなしるしをください。
そうやって3度もそのようなやり取りが続きました。

こうして疑いようもないほどのいきさつがあれこれとあり、
気絶したような気持ちになっていましたが、伝えるべき御言葉は何なのか、徹底的にまとめ終わり、ナザレを後にして福音を伝えようと家を後にしたのです。

サタンとの戦い


イエスは、御言葉を本格的に伝える前に、最後に祈りをしようと一人で荒野へ行きました。
そこで40日40夜断食の祈りをしました。
イエスは空腹とともにひどく疲れていて、肉体の感覚が弱くなっていました。
イエスの周りには誰もいませんでしたが、肉体では聞こえないような変な声がしてざわざわしているような感覚に襲われました。

イエスは気が付くと霊の世界に入り込んでいました。
サタン1「こいつがメシアだって?」
サタン2「なんだ?そんなに強そうに見えないよなあ・・」
サタン3「でも、末恐ろしい奴だとも聞いた。何にしたって、危ない奴は早めに叩き潰すのがいいんだ」
他にも口々にさまざまな黒い集団になっている霊たちが取り囲んであれこれと言っています。

こいつら、少し臭うな・・・
霊の世界に入ったイエスは咄嗟に思いました。
それですぐに、この霊たちが神様を邪魔して反対しようとしている「サタン」と呼ばれる悪魔たちだと知りました。

イエスは心の中で思いました。
「節操のない奴らだ。
私のことを知らずに、だまそうとしているのだな・・・」

すると、その心の声があちらにも伝わったようで、その中の一人があっという間に近づいてきました。

「私はお前を知っているぞ。イエスという名だろう?
バプテスマのヨハネのところで彼がお前をメシアだといっているのを聞いたぞ。
おまえ、見たところ、そんなに強そうに見えないぞ。
やい、このボンクラ!
お前がメシアだって?
こんな奴をメシアにして世の中に送ろうってか?
お前の神様とやらも聞いてあきれるな。全治全能の神だって。
お前がこの世に生を受けるずっと前から知っているが、
神も落ちぶれたもんだ。」

そういいながらイエスを挑発してきました。

「悔しかったらお前のお手並み拝見と行こうか?」

といって、イエスに束でかかってこようとしました。

「黙れ!全治全能の神様の名を汚す奴は誰だとしても許さん!
知っているなどと言って、何も知らない奴がつべこべいうな!」

こうして、サタンとイエスは霊の世界での戦いを始めました。
霊の世界では、考えから出る言葉が大きな武器です。
考えの急所を狙って相手を打ち負かしたほうが負けるのです。

石をパンにかえてみよ

「やあやあ、神の子とやら。
人間の苦しみの第一は飢えの苦しみ。
救いをするというのなら、飢えを救い出す奇跡が起こらねばならないのではありませんか?
あなたが神の子なら、石に命じてパンを作って食べるのを見せてください!
そうやって、自分が食べることに困らない、そのような姿を見せてくれてこそ救いができるというものではないのですか?」

こいつは私をも陥れていこうとしている。

丁寧そうに見えても嫌味たっぷりな言葉遣い・・。
イエスは彼らの心が一瞬にして見えました。
彼らの挑発に乗っては絶対にいけない!

それで、迷うことなくまずこう言いました。
「おまえはどうして初めから終わりまで食べる話ばかりしているのか。
おまえは食べるものばかり話しているのか。私は40日間食べていないが、いつ食べる話をしたのか。食べ物の話をするからといって私が耳を傾けたのか。」と叱りました。

「人はパンだけで生きるのではない。神様の口からでる御言葉によって生きるものだ。肉体が食べることよりもっと大事なことがある。それを知らないのか?」
そういいました。

そういうとサタンは、うっとなって黙るしかありませんでした。

聖殿のてっぺんから飛び降りてみよ

それで違うサタンが出てきて言いました。

「あなたは神様を信じる実力者だ。食べるものにも気を使っていない。
神様の子として御業を見せてください。
聖殿のてっぺんから飛び降りてみてください。
神の子として格好良く飛び降りてみなさい。
聖書には、神様があなたのために御使いを送って足が石にぶつからないようにするだろうと書いてあります。
それは今日のこのことを指して言っているのではないですか?
私がその歴史的な瞬間に立ち会えるなんて!感激です!」

しかしイエス様はこのように答えました。
「お前がいくら堕落してサタンになったとしても、神様を試みれる存在なのか?断じてそうではないだろう?
神様は、お前たちを創造された方ではないか。
おまえたちは神様を裏切って出ていったけれども、結局神様が作られた世界の中に今たっているのではないか?お前たちが神を試みられるような存在ならば、神様が作られた天国のような場所が作れているのか?せいぜい神様が焼却炉として作った場所へ日飛び地を引きずり込んでうっぷんを晴らすことしかできていないじゃないか?」

それで、この悪魔も黙るしかなくなりました。

この世の富と名誉をすべて


それでまた違う悪魔が出てきました。悪魔の中でも最高に知恵があるといわれている悪魔でした。

サタンはイエスに世の中のありとあらゆる栄華を見せました。
「われら悪魔に魂をうって富と名誉をほしいままにしたやつがどれほど多いだろうか、
どれだけ多くの主権者が私の考えを借りて国を動かしているか・・
我々は、この世で生きている人々の考えに入り込んで奴らを動かし、この世を牛耳っていることを今痛感させてあげるために見せてあげた。
どうだ?われらはこの地上の影の王なのだ。

お前、この世で何かをしたいのだというのなら、俺たちに何の挨拶もない、何の拝する心もないとは何事だ?
俺たちのこれまでの労苦をねぎらう言葉一つぐらい出せ!
俺たちにひれ伏せ!
ここで拝したら私もこれ以上ちょっかいをださないだろう。
おまえは人々を救おうとしているが、もしここに拝するなら、私を拝して屈服をするなら、二度と私もちょっかいをだしたりはしない。」

紳士的な言葉はだんだんと強制的な言葉になり、まるでヤクザが人を脅すような面持ちになりました。

それでもイエス様はひるむことなく言いました。
「サタンよ、退け。
この全ては神様のものだ。
自分の物と人の物との区別もつかないのか。おまえの物なんかどこにあるのか。
天使だった美しいお前。今は見る影もない醜いお前。
その おまえの体だって、おまえが自ら作ってできたものでもない。
おまえ自ら生を受けたのでもない。勘違いするな!」

そう言いました。
その時、サタンたちは、アダムをエバをだまして、神様の雷のような声で突き刺されるような感じをイエス様から受けたのです。
そうして、怖くなり、サタンはあっという間に逃げてしまいました。

私が行く!

イエスは霊的な世界から肉の世界へ戻ってきました。
目を開けると、汗をびっしょりとかいている自分に気が付きました。
幻とは思えない、現実のような感覚・・。
一晩中サタンたちと言い争いをしていたのだ。そう思えるほど数多くのサタンたちとの熾烈な戦いを終えた、そんな感じがしました。

最後にサタンたちがどんな活動をしているのかを見た、あの映像を思い出しました。
お金と名誉を持ちながらも苦しく、
あるいはまた、彼らに虐げられている側もまた、苦しい。
私が考えている以上に、人々は悩み苦しみの中で生きている。
恨み、つらみ、悪意、悲しみ、苦しみ、病・・。
それらの多くに悪魔が介入していることが多いのだなあ・・。

「救いは、救う人が訪ねていってこそ初めてなされる」
神様が何度も祈りの中で教えてくださった言葉が胸にこだまします。

騙されている彼らを救わなければ!
狡猾なあいつらに勝つために、私も気を引き締めていかなければならないのだな・・
そう思っていると、朝日が荒野の果てから強く昇ってきました。

行こう!救いを求めて待っている人たちがあまりにも多い!
あの太陽のような神様の愛をもって、すべての人たちを神様とともに救う!
イエスは迷いのない足取りで荒野を後にしました。

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