イスカリオテのユダ

聖書の人物

イスカリオテのユダ

ベタニヤのマリヤが香油を注いだとき、真っ先に声を荒げる人物がいました。
イスカリオテのユダと呼ばれる弟子でした。
彼は12弟子と呼ばれている一人でした。
正義感が強く、熱心に祈る人でした。そして、雄弁な人でした。

そうして、多くの民が集まってもいいように、様々な組織を作り、規律を整えながらイエス様についてくる人々の集まりをマネジメントしていたりもしました。

ユダは、ユダヤ民族がいつも虐げられ、今ローマの属国のようになっていることについて憤慨していました。そして、キリストと呼ばれるメシアが来たら、軍隊を作ってローマや周辺の国々を打ち滅ぼしてくれるのだと考えていました。

イスカリオテのユダは言いました。
イエス先生はユダヤ民族の為にだけ来られたのではなく、全世界の為に来られた方です。
そのような方をお迎えする私たちは、もっと変化して作られなければなりません。

特に、彼は、多くの病人や貧しい人々がついてくるのをみて、イエスに時折失望していました。自分が考えているメシア像とは違っていたからです。

この点ではいつもイエス様と見えないところで口論となり、イエス様はそのように病人ばかりを見て一生を終えてはならない、とか、イエス様の貴重な時間が小さな者にだけつかわれてはならない、などと言いました。
もっと世の中で知名度のある人や有力者にもこの福音が伝えられなければならないといいました。そうしてユダヤ教の知識人たちを招いて、何かを感じさせる集まりにしようと歌や踊りの部署を組織したりもしました。

ですから彼は賢い人だと考えられていて、教会の運営やイエス様のwの集まりについて様々な助言を求めていました。彼は世の中のことにも知識が多いと思われていましたから、イエス様も会計を彼に任せるようになったのです。

横領

皆、彼は個性的な人々、事情があまりにも違う人々の集まりで、気を使うことも多い中、誠実で熱心な人だと思っていました。
事実、使命を任された最初のころはそうでした。
しかし、感謝の献金をしたいと申し出る人が別途、あなたのためにも使ってください、とお金やものを渡すこともありました。

イエスは、献金は神様のお金だから、あなたの名義で受け取ったり、勝手に使ってはならないといいました。
それでも、ユダは思いました。世の中はお金だけではないが、お金がモノをいう場面も多い。お金で誰を信じるか決める人も多いはずだ。
増やして返せばそれがもっと有益ではないか?と一部を投資したりもしました。
あるとき大きく焦げ付きを出し、負債をだしてしまいました。
それで前よりお金を大きく出すと、今度は利益を得たりもしました。

そのようにして余剰で得たお金は、自分が一部取ったりもしました。
そうしていくうちに、徐々に自分のお金と教会のお金との境がなくなり、どんどんとお金を横領するようになりました。
不思議にも、ユダがお金を得ようと、お金を追いかければ追いかけるほどお金は逃げていきました。

そうしてユダは誰にも言えない秘密が多くなってゆきました。

マリアを困らせる

イエス様と共にする時間は少しずつ減っていきました。

イエスは言いました。
ユダよ、仕事ばかりしないで私のそばで一緒に食べてゆっくりすればいいのに・・。

イエスはユダの良くない噂をたくさん聞いていました。
それでも、なんとか改心してもとに戻れる方法はないものかと考えていたのです。
そのためにも、ゆっくりと対話できる時間を持とうと何度も声をかけていました。

しかし、彼は、私は自分の位置を守ります。
イエス様には、私が新しい教会を作り貧しい人に分け与えるためにお金を調整しています。
1つ1つ細かなものまで報告を受けて検討したらメシアとしての仕事ができないでしょう?だから私がうまくやりますから、信用して任せてくださいと言いました。

皆にも、メシアであるイエス先生に世の中的な小さなことで時間を取らせてしまってはいけないから、私が処理しますと言ったのです。

そのような中、マグダラのマリアが香油の壺をわってイエスの足に塗る場面に直面したのです。
私という使命者を通さずに香油の壺を割って直接捧げたことに憤慨したと言いました。そのようにして秩序がない集まりだから困るんだと怒鳴ったのです。
私なら、貧しい人々に施す、そうすれば主のみ言葉を守り、主も喜び、兄弟姉妹も喜ぶではないか、と言いました。

一同その話を聞いて、やはりユダは聡明だな、
マリアよ、なぜユダに一度相談もしなかったのか?

と言いました。

マリアは答えました。
この香油は私のものです。だから私の心のままに使ってはいけませんか?
香油は、愛する夫に捧げるために持っています。でも私は夫を持つことはないでしょうし、
私の中の一番良いものを私が最もこの地上で大切だと思う人にあげたいのです。
貧しい人に施せば、その場では感謝もされるでしょう。けれど、私がその人達にしてあげられることはただの1回です。私も貧しいからわかるのです。
恵んでいただいても一度食べたらおわってしまいます。
それならば、私は後悔しない方法を選びたかったのです。

ユダは大声でどなりました。
黙れ!知恵のない女!
お前のような女がイエス先生にみじめでつらい思いをさせるんだ・・。

なぜ彼女を困らせるのか

その場がしん、と静まり返った時、
イエスはいいました。
ユダよ、彼女をなぜ困らせるのか?
この女は私に葬りの用意をしてくれているのだよ・・。

この女が私にしてくれたことは、私を遣わした神に感謝し、
人生を捧げて神に仕えて尽くしたいという決心ではないか・・

彼女は一つしかない人生、一つしかない心をただ天の御心に傾けてくれようとしたのだ。
それが私が来て御言葉を伝えて救われた意味や価値をわからせてくれることになるのではないか?
私の福音が伝えられるところでは、この女がしたことも一緒にのべ伝えられるだろう。
そうして、私イエスの御言葉を聞いて、救いを得、香油の壺を割って真の愛を注いだマリアのように喜びと感謝と愛で神様とメシアを迎えようというだろう。

弟子たちはマリアの奥深い心を知り、感動しました。そして、私たちが表面的なことだけを見てはいけなかったのだと反省したのです。

しかしユダは、マリアを通して大金が得られなかったことで一層気分を害していました。

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