ユダが去ったとき、弟子たちはイエス先生が何かを準備させに行ったのだろうと思いました。
なぜなら、ユダは他の弟子たちとは行動を別にして、何をしているか知られていないことが多かったのです。
しかし、イエスは知っていました。
彼がお金を横領し、その末にユダヤ教の指導者たちとつながっていることを。
ですから、どこへ行ったのかを知っていたのです。
この食事を終えた後、私は彼らに肉で会うことはできない。
バプテスマのヨハネも逝き、ユダのような弟子も失い、ここに残っているのは純真な幼い弟子ばかり。
どのように考えても心に苦しみが襲うばかりでした。
食事が終わった後、イエスはペテロとヤコブとヨハネを呼びました。
「今夜私の為に一緒に祈ってほしい。」
それで、3人はイエスとともにゲッセマネの園へ行き、徹夜の祈りを始めました。
イエスの祈り
神様、神様はアダムとエバの時からサタンとの戦いを続けてきました。
あなたが人間をおつくりになった目的は深く、愛の神であるのに、人間はあなたを誤解し、時には恨みながら歴史を勧めてきました。
イスラエルの乙女よとあなたが聖書でおっしゃったように、軍事的にはか弱い乙女のようなイスラエルが神様にただ頼り、求めてくることを望んでおられました。
しかし、彼らは送った預言者の話を一つも聞かず、かえって彼らを死に追いやりました。
預言者たちが血をもって彼らの罪をあがない、救い主を迎えるための準備をしてきましたが、彼らの血が叫んでも、イスラエルの民は聞き入れず無知の中に陥っています。
「彼らは十分に神様の法を知らないのです。私がもう少しだけやってみます。」
そのようにして、あと1年、あと1か月、と伸ばして来ましたが、神様の前で申し開きができません。しかし、もし可能ならば、あと少し私に時間をいただくことはできないでしょうか?
今、私とともにきている弟子たちをご覧ください。幼い彼らを残していけるでしょうか?
しかし、神様は言いました。
「あなたも考えてみなさい。人間は腐った果物を食べるのだろうか?惜しげもなく捨てる、それだけだ」
その時、神様の裁きを今のままでは止められないということをさとりました。
「神様、ある人に負債があって獄に入れられていたとしましょう。友人が代わりに負債を返したら、その人は獄から出ることができます。罪も同じですか?罪のない人が代わりに罪を悔い改めたらゆるしてくださる、そのようなことが必要なのですね?」
そのように話すと神様は、静かにうなずいているような感じがしました。
その後、神様はイエスに言いました。
「モーセの民が荒野で偶像を拝み、皆罪の中で死ぬはずだった時、青銅の蛇をあげてその蛇を見るものは命を救われた。そのように、人の子が青銅の蛇のようになってあげられるより他、この窮地を救うほうほうがない。」
つまり、それは、キリストであるイエスが人類の罪を背負って十字架に係ることで霊の救いをえることしかできないということを意味していました。
十字架は、人間が最も苦しみながら死ぬために考え出された残酷な方法でした。
そのようにして、サタンに肉体を渡すことで、霊までは奪っていかないようにする、その方法しかないというのです。
イエスは頭が痛くなりました。
私はもう、あと少しでこの世でみ言葉を伝えることができなくなる。
そして、私が去った後、この神様の歴史は、私と同じ道をたどって、私についてくる弟子たちもまた、殉教の道をたどらなければならない・・。
イエスは、死の恐怖にさいなまれていました。そして、自分のような道を弟子たちがついてこれるのか?
メシアを送るまでの4000年の歴史を考えると、心が苦しくなりました。
神様、もし可能でしたら、この盃を退けてください。
汗が血になるほど祈りました。
しかし、神様からの返事はありませんでした。
さらなる祈り
弟子たちとともに少し話をしようと様子を見に行くと、弟子たちは寝ていました。
それで、弟子たち二人を起こして、いいました。
私とあなたの運命がかかっているから、少しの間わたしのために、そしてこの神様の歴史の為に祈ってほしい。
そうしてまた祈りました。
もし、避けることができるのなら、この十字架の運命を避けて通れるようにしてください。しかし、あなたの御心でしたら、私はこの苦い盃を飲んででも、御心をなしていけるようにしてください。
今まで私が御言葉を伝えてこれたのは、無学な彼らですが純粋に私を愛し、ひたむきに私についてきてくれた彼らのおかげです。彼らはあなたが送った大切な天の宝ですから、どうか彼ら一人一人を覚えてください。
そういって一人一人の弟子たちの名をあげて、切実に祈りました。
十字架の道を行くのは私だけにしてください。彼らは私が整えた道を歩いてこれるようにしてください。
しかし、神様は沈黙されておられました。
再び弟子たちのところへ下ってみると、弟子たちはまた眠っていました。
私だけではなくあなた方の祈りが本当に必要なのだから、どうかひと時だけでいいので祈ってほしい。
もう一度でしたちにいいました。
御心の通りにしてください
そうして、3度目にまた深い祈りに入りました。
そうして、イエスはさとりました。
十字架の道が近づいている。
それでイエスは祈りました。
神様、私の運命をすべて神様にゆだねます。
私が今まで生きてきて、飢えの苦しみ、病の苦しみにあえぎながら幼い時を過ごしました。モーセの時、荒野でマナをもって養ってくださったというのに、どうして私にはそのようなパン一つを恵んでくださらないのかと恨みましたが、人々の病や飢えの苦しみを深く悟らせてくださいました。
肉の食べ物より神様の命の御言葉一つがどれ程大切なのかを悟らせてくださり、苦労しても神様の道を行かねばならないと悟らせてくださいました。
この歴史を信じてくれるユダヤ教の指導者たちがいないとき、異邦の民にもこの福音を述べ伝えることを許諾してくださり、彼らを通して多くの恵みと喜びが得られましたことを感謝いたします。
わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残していかなければなりません。神様が下さる真なる喜びが彼らのうちに満ちあふれますように。
わたしが彼らに御言を与えたことで、世は彼らを苦しめ反対し迫害するでしょう。しかし、彼らを悪しき者から守って下さい。真理によって彼らを聖別して下さい。彼らが天と一つとなり、また地でも平和をなしながら生きていけるようにしてください。
そうして、明け方近くになったのでゲッセマネの園を降りていくようになりました。
返ろうとすると弟子たちは眠っていたのでいいました。
おきなさい。あなたが祈れなかったことを負担に思わなくてもよい。あなた方私のことを思ってくれている熱心はわかっている。けれど、疲れていて肉体がつらかったんだろう。もうかえって休みなさい。
しかしその時、多くのたいまつが見えました。その中から一人歩み寄ってきた見覚えのある顔がありました。
イスカリオテのユダでした。
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