干しカワハギを焼く教祖

ちえみThinking

カワハギってご存知ですか?
田舎のお土産などである、小さな小魚の干物です。

私が冬の季節に月明洞を訪ねていくと、確かにドラム缶に薪をくべて、その上に網を乗せて、確かにカワハギを焼いて、皆に振舞っている姿をお見掛けしました。

先生のすごいところは、何百人ぐらいならば多いと思っていらっしゃらないようで、
ほらほら、みんな!という感じで、1人に挙げるともらってない人はいないよね?といって、全員にやってあげようとしてしまうことです。

あの干物を1枚1枚何百枚も焼くんです。そして、1枚1枚丁寧に一人一人にあげるんです。
それも、1回2回でもなく、私が知っている限り、25年はこの調子です。

田舎の素朴なおじさん呼ばわり

私が最初に月明洞を訪ねていったのは、何十年も前の11月の暮れでした。
いろんなことが消化しきれていない中、先生に会うということで、いろんな意味で緊張していました。

緊張しすぎて、愛に行くのを取りやめそうになっている、と感じたのか、
私を面倒見てくださっていた先輩が、そんな私の緊張をほぐそうとして、

「見た目は素朴な田舎のおじさんだから、そんなに緊張しなくたって大丈夫だよ」とおっしゃってくださいました。

そんなことを言われる教祖って、、、見たことない、、、とびっくりしたことを覚えています。

ドラム缶の即席暖炉

そうやって、初めて先生の故郷を訪ねていきました。11月の終わり、寒い星空のきれいな夜でした。

もともとの予定とは違っていたようで、急遽みんなで先生の故郷に押しかけてしまう格好になりましたが、少し先にご自分のおうちに到着された先生は、あっという間にドラム缶に薪をくべて、しっかりと即席の暖炉のようなものを作っておられて、お一人でせっせと薪をくべておられました。
たしかに、目の前にいたのは、「素朴なおじさん」でした。
そして、その日から、先生を「教祖」、とは思わなくなりました。

珍味のお手製詰め合わせセット

実は、先生に、珍味の詰め合わせをいただいたことがあります。

私が強烈に寒い2月、教会の3つ年上のお姉さんとたった2人で月明洞に訪問しましたが、
寒いからと洞窟で祈っていた時、先生が私の隣を通り過ぎていったようです。
私たちは、そのことに全く気付いていませんでした。
が、ちょうど祈りが終わった、と目をあけると、目の前に、さきいかなどをきれいに食べやすくさいて、調味料を入れたりして、何種類か丁寧にラップに包んだものを、持ってきてくださった方がいました。

サランラップを正方形ぐらいの手のリサイズに箱型に作って、その中に、何種類かの珍味を裂いて食べやすくいれて、
その上に、ちょっとマヨネーズとか七味唐辛子がちょこっとかかっていてました。

どうやら、それは、先生がご自身で私たちのためにおつくりになった、ということが後で通訳の方を通してわかりました。何せ、私もそのお姉さんも、ちょっと無謀にも通訳なしで月明洞を訪ねてしまったため、Rとはカタコトとジェスチャーで対話するしかなない日が旅程の半分以上を占めていた為です。

洞窟の奥で作業をされていると聞いたので、お礼のあいさつに、と思って奥へ進んでみると、
夜の10時までドリルで洞窟を掘り進めておられました。

夜遅くなってしまって、一緒に作業をしておられた方にお願いするのは悪いのだけど、あそこがやっぱり気になる、と思われて
ひとりで、ドドドド、っていう感じで、まるで建設現場の作業員のような面持ちで掘り進めておられました。

人間は食に尽きる

私の亡くなった祖母は人間は食べることに尽きる、と言っていました。
それはいろんな意味がありますが、そのうちの一つに、食べ物の好みや食べている姿を見るとその人のことが垣間見えるという話でもあって、食事の作法などは食事中にビンタが飛んでくるほど厳しかったのを覚えています。

最近、ふっと思ったんです。

よく、人は長い年月いろんな人がついてくると変わるんだといいますが、
変わる人は食べ物の好み自体が変わるよね、
と・・。

そう、私が小さいころからいろんな人を見てきましたが、
皆、ちょっと偉くなると、贅沢なものを食べるんです。

でも、辛酸をなめて本当に苦労している人や、
もっと上を向いていこう、とかいう人、
初心を忘れないでいる人は、
素朴な食事を好む傾向があります。

以前、何かの番組で、食べられなくて魚の人形を見ながら味を思い出して、ご飯を食べていた若い日を忘れないために、今もその木の魚を見て、ごはんだけを食べている日を意図的に作っている、という方がおられました。

そういうことを意識しているなどとは
ご本人の口から聞いたことはないですが、私が知っている限り、この25年、相変わらず「かわはぎ」を食べ、するめを食べて、おられるように、健康のために運動を欠かさず、祈りを欠かさず、聖書を読むことを欠かさず、約束したことを絶対に忘れず、素朴なことの連続のようです。

私がもう一つ、先生は祈るときの姿勢がとても美しいです。膝をしっかりついて、手を組んで背筋を伸ばして祈られますが、その凛とした佇まいに先生が今まで祈ってこられたすべてが詰まっているようで、これはまた、別の時に、書きたいことの一つです。

先生についてどう思っていますか?とか、
一言でいって、何がそんなにいいのですか?と聞かれるのですが、
そういった方の心の空気を読まずに申し上げるのなら、干しカワハギの何がそんなに好きですか?と言われてしまうと本当に長い話しになる、それ以上の味わい深さがあります。

本当の味は素朴な中にあるのでは?

以前ラーメンガイドを見るな、と友人に教わりました。
余りにも多くのラーメン屋を食べ歩いてしまって、刺激的な油がギトギトとか、インパクトのあるものを「おいしい」と勘違いしてしまうそうです。
でも本当においしいラーメンは、素朴でシンプルで、印象に残りにくいそうです。
そういう素材にこだわって体にいいラーメン店を見つけて、誰にも教えずに通う常連さんたちのいるラーメン店がいいのだと。

私たちの人生は今、
さまざまな言葉にあふれ、
豊かさにあふれ、
時には人を大きく傷つけて誤解させ追い詰める言葉にあふれ、
嘘と真実が入り混じって何をどうしていいかわからないほど様々なものに埋もれていて、
同じく、刺激的な人と付き合うことが、人としての幅や豊かさを持っていると勘違いしがちなのではないかと思います。

もし先生がカワハギを焼いてくださらなかったのなら、私は今頃、この教会にはいなかったかもしれないし、
いたとしても、先生だけではなくて、神様が怖くて怖くていつも教会に通うたびに緊張緊張、という感じだったかもしれません。

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