ストレス食いを卒業したい

ちえみThinking

ストレス食いだと見透かされ、玉砕

術後半年の検診。
医者に開口一番、「ちょっと太ったかな?血糖値がね・・」

私「えっ?今日は血液なんて採取されてない、と思ったんですけど・・・」

医者(どや、って感じで検査の紙を出してくる。看護師さんも後ろでニヤニヤ)

看護師「検査前の点滴の針を入れたときにちょこっといただきました!血液♪」

私「えええ。。えっと、、最近ほら、職場が変わって・・」

医者「そーれーでストレスが溜まって食べちゃうってわけですねっ。だーめ!」

私「いえ、あの、その・・えっと・・先生、そうじゃなくって、、みんながお菓子をいっぱいくれちゃうんですよ」

医者「はいっ、それは遠慮してもらって。」

私「(--;)(--;)(--;)(--;)(--;)(--;)(-_-;)はぃぃぃ・・・ガ、ガ、ガンバリマスぅ・・」

医者「うん(^^)。このまま続いたら薬ですよ(キリッ)」

やさしく言われているうちに何とか対処せなあかん、そういうわけです。

なぜ食べることでストレスを解消しようとするんだろう?私・・

そもそも、ストレス食いをしている、という意識も持っているようで曖昧になっていたんです。
別に誰かに不満があるわけでもないのに、何でストレスをため込むんだろう?私のストレスの根源って何なんだ?と改めて考えてみたんです。

今のところ結論としては、ストレスになる一番の原因は他人から見た自分とホントの自分に乖離があるからでは?ということ。また、自分が火と水のように相反した性格を一緒に持っているので、自分でも自分をコントロールするのに意外に苦労しているんだ、と思います。

多分、みんなの話を総合すると、私って”口が軽くて、言いたいことをズバズバいって、人の気持ち考えない”と思われてることが多いように思います。”仕事を頼めば便利だけど、人としてはそんなに水準高くない”たぶんそう評価されてることがほとんどだろうなと思います。意外と自信あります。ほんとは・・。なぜなら結構よく観察するのと、考えこみすぎるぐらい考えるタイプなんです。

もう一つよく指摘されるのは話の的を得ないということ。ほんとうは、スパッと言いたいし、若い時は言ってたんです。だけど、極論すぎるといわれたりして、気を使うようになったんです。しかし、その分いろんなことを深読みしている分、説明は長くなり、傷ついてしまったらどうしようと思うと探り探り話を進めてしまうため、馬鹿だと思われてしまうんです。

結局、考えを口に出さないまま、空を打つような話で終わることも少なくありません。だから、実は人付き合いがものすごくストレスで、コロナになってから教会に行かなくていいというので心が軽くなった、つまずきを与えるかもしれないけどそんなときもあります。

食べるというのは、不思議に、おなかにため込むのに幸せのある行為なんだと思います。気持ちをぐっと飲みこむ、そういうこととちょっと関係がある、意外にも防衛本能というか、そういう根深いところにこの悪い癖があるわけだとは思います。

じゃあ、どうやって治そうか?

とはいえ、食べることとストレスを切り離すことは、待ったなし。このままだと命の危険が迫ってると思わないといけない。いったん、ストレスのはけ口を食べるということから切り替えることだけでも対応しないといけないわけです。

運動すればいいのですが、運動が長続きしません。無理をしてけがをしてしまって続かないを繰り返すんです。手芸などもやって、それなりにストレスは解消されるのですが、それも熱中しすぎてしまう。つまり、嫌いじゃないんですが、もうちょっと手軽なものがいいのかも・・。

それでいろいろ考えた末、詩を作る、というストレス解消法にしよう、と思いつきました。

正直、祈りも嫌いじゃないんですが、時間はかかります。文章も考えに考えてしまうタイプなんです。
だけど、たまっていることを吐き出すという行為だし、毒を吐きだすのではなくって、いいものを吐き出そうとして違うところに考えを集中させるので、案外疲れはとれるかも、と・・。

ヒントは御言葉を伝えてくださる先生から。神様に捧げる、とおっしゃり、忙しい合間を縫って詩を書かれたという話をよく聞きます。

食べたいだけ食べられたら天国だと思って、貧しさを切り抜けて食べられるようになったけれど、虚しさが残るということを知りました。という御言葉のくだりがあります。

そう、人はパンにて生くるのみにあらず。です。前から教わってたやん、、今更恥ずかしい限り・・。だけど、九死に一生を得たんだから、何かもうちょっと、人間らしく前進するようにして生きたいなと思った次第です。

どうなるかはまた、レポートします。

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