イエス様物語(14) ~私は誰のために来たのか~

聖書の人物

イエス様の団体は・・
パリサイ人やサドカイ人と呼ばれるイスラエルの宗教家たちは、イエス様を忌み嫌っていました。

「あいつは、御言葉はいいかもしれないが、品位がない。
神を語るというが、周りにいる人間をみたらどうだ?
がさつで、下品な男たち、淫乱な女たちの集まりじゃないか!」

しかし、日に日にイエス様についていく人達は膨らんでいきました。人気を博せば博すほど、イスラエルの宗教家たちはイエスを妬み、疎ましがりました。

取税人の真なる友

当時のイスラエルで、最もさげすまれていたのは「取税人」と呼ばれる職業についている人でした。
彼らは、ユダヤ人でありながらローマ政府のために働いておりました。

人々から、
”あの憎たらしいローマの犬!裏切り者め!”
そのように、思われていたのでした。

おまけに、取り立てるべき税金の額をちょろまかして、大めにとりたてて、自分の懐に入れていましたから、ますます人に嫌われていたのです。

このような取税人の中に、「レビ」、またの名を「マタイ」と呼ばれた男がいました。

彼は、後ろのほうに座ってイエスの御言葉を聞きました。

「人が最もみじめでつらいと思うことは何だろうか?見くびられることだ。人として見てもらえないことだ。それで、富を得て名声を得て見返してやると思って一生懸命に頑張る。しかし、今度は、富と名誉だけを見て人が集まってくるが、本当に心をわかってくれる人はいない。つまり、富を名誉を得ても、むなしい喜びが待っているだけだ。
自分の真なる価値を得たければ人格を取り戻さなければならない。」

といった御言葉でした。
それを聞いてマタイは感激し、自分が不当に取ったお金を返して、正しく生きようとしていました。

そうして過ごしていたある日、イエス様が説教の後、静かにマタイのところに近づいてきて言いました。

「人の税金を取り立てて、何になる?
恨みを買うだけじゃないか?
私についてきなさい。富より大きなものをあなたが求めているのではないか?」

それでマタイは決心したのです。
もう取税人はやめよう!

イエス様も、ほかの弟子と分け隔てなく接しました。

またほかの取税人に「ザアカイ」と呼ばれる人もいました。
彼もまた、あまりにも人に嫌われていて、イエス様の御言葉を聞く集まりに出かけても、席を用意してもらえませんでした。
おまけに彼は背が低かったので、イエス様が道を通り過ぎるときに一目見たい、という彼の心を知った人々がわざと彼の前に立ちはだかりました。

しかし、ザアカイはどうしてもイエス様の姿が見たかったので、木に登りました。

すると、木の下にいる人々が一層彼をやじりました。
「やい、チビ、木に登ったところで葉に隠れて結局見えないだろう?」

「お前がイエス先生を見るなんて100年早いわ。」

「お前と同じ空気を吸うのも嫌になる」

等というばかりでした。

それでもザアカイは負けん気の強い男でしたから、めげることはありませんでした。
内心、
”俺は、こう見えても人を見る目だけは自信がある。俺をさげすむお前たちのほうがよっぽどクズじゃないか!”
そう心の中でつぶやきました。

イエス様は遠くから、ザアカイをやじる声を聞きました。

そうして、ザアカイを大声で呼びました。

「ザアカイ!私はあなたを知ってるよ。木から降りてきてあなたの話を聞かせておくれ。
今日から私があなたの友だ。」

ザアカイは生まれて初めて「友」と呼ばれたのです。
うれしくて飛び上がりたくなり、木から転げ落ちそうになりながら、慌てて降りていきました。

しかしこのような取税人たちがイエスの弟子になったと聞いたユダヤ教の宗教学者たちは、カンカンに怒りました。
「あの取税人などという、犬畜生らに神の何がわかるというんだ!」

「イエスは、人集めの気ちがいだ!
金を集めてとんでもないことをたくらんでいるのではないか?けしからんやつだ!」

等と言いました。

姦淫の女

それで、ユダヤ教の宗教学者たちは口々に相談して言いました。

「そうだそうだ、御言葉が素晴らしいというのなら我々も堂々と御言葉で対抗しようじゃないか!」

そうしてある方法を思いついたのです。

淫らなことを商売にしている女性を連れてきました。

そうして言いました。
「イエス先生、彼女を姦淫の現場で捕まえてきました。
聖書には姦淫をしたものは石で殺せと書いてあります。
さあ、どうしましょうか?彼女を石で打つべきでしょうか?それとも罪を許すべきでしょうか?」

これは、イエスが何と答えても「悪人」とレッテルを貼るための周到に考えられた罠でした。

もし、”彼女を殺すべきではない”とイエスが答えたのなら、”なぜ律法を守らないのか?”と攻め立てるつもりだったし、”彼女を殺すべきだ”と言ったのなら、”ローマの権威に訴え”といってローマへの反逆をたくらんでいると訴えて殺すつもりだったのです。

イエス様はこれが自分を陥れようとしている罠だとすぐにわかりました。

姦淫の現場でとらえることなどなぜできるだろうか?
見えないように隠れてするものではないか?
明らかに不自然なことが多かったのです。

しかし、それを問いただそうとすると、あらぬ話の方向になりそうでした。

そこで、心の中でイエス様は祈りながら神様に知恵を求めました。

咄嗟に言いました。
「あなたたちの中で自分は清廉潔白だ、罪がない、という人だけ石を投げなさい!」

そういうと、多くの人は静かになりましたが、
やあやあ、我こそは!と出てくる男が一人いました。

石といっても、ただの小石ではありません。現代のブロック塀より大きな何キロもある石で一撃で人を殺せるほどの石なのです。
その男が持ち上げて女に石を投げようとしたとき、イエス様は文字を地面に書きました。

すると、霊の目が開けて、彼らの天にある記録の本の文字が頭の中に浮かんできました。
神様は、イエス様に「これを地面に書きなさい」というインスピレーションを送ったので、書いたのです。

そこで、その文字を地面に書きつけました。
姦淫の罪、

彼は、彼だけが知っている罪が書かれているのをみて、びっくりして、静かに石を下ろして帰りました。

すると違う男が出てきて、我こそは!と石を持ち上げようとすると、また違う言葉を地面に書きつけました。

祭壇に集められた献金の一部をごまかす罪・・

それで、恥ずかしくなり、彼も帰っていきました。

こうして、次から次へと男たちが出てきますが、イエスが何かを書くたびに一人、また一人、と帰っていきました。
イエスは、消してはまた、新しく思い浮かんだ罪を書きました。
こうして誰もいなくなりました。

その時イエスは、誰もいないことに気が付いて、はっとしました。
「女よ、あなたに石を打ちつける者はいたのか?」

それで女は答えました。
「主よ、皆かえってあなたお一人になりました。」

そこでイエスは答えました。
「私もあなたを罰しない。二度と罪を犯すな。」

そういってその場を去りました。
去りながら神様に感謝したのです。

憐れみ深い神様が、あの女だけではなく、私をも救ってくださった。
そうしてイエスは山に登り、感謝の祈りを捧げました。

健康な人に医者はいらない

しかし、イエスを陥れることに失敗したユダヤ人たちは、ますます腹を立てました。
そうして、次の日に弟子たちと食事をしているところへ殴り込んできました。

「取税人や罪人達と一緒に食べたり飲んだりしているのはどうしたことだ?」

これを聞いたイエスは言いました。

「医者は誰のために必要なのか?病人ではないか?
誰のためのメシアなのか?救うためではないか?
健康な人に病人はいらないように、自分こそ善人だと思う人のためにメシアは来るのではない。
罪びとを救い、すべての人が神に近づいていくためにメシアが来るのではないか?」

それでも彼らは引き下がりませんでした。

「今日こそ言わせてもらう。
お前の団体は、いつも食べて飲んで笑って、何だ?
バプテスマのヨハネの団体を見ろ!断食したり、祈り続けているじゃないか?」

そこで言いました。

「おいしいものを食べて、にぎやかにして何が悪いのですか?
バプテスマのヨハネには、断食して祈り続けて、気が狂っているというし、
私たちのように、にぎやかだと、敬虔さが足りないという。
一体何がいい団体なのですか?」

物静かなイエス様が強い口調で言ったので、弟子たちも、またユダヤ教の宗教学者たちもびっくりしました。

「今日のところはこれぐらいにしてやるが、覚えていやがれ!」そういって帰っていきました。

ふう、とイエス様はため息をつきました。

”神の御言葉を知っている、などと言ってもっともらしく振舞っているが、聖書も神様のことも思い違いばかりしているじゃないか。私の話を聞こうともしないでいるじゃないか。”

そう考えながら、「救いに至る道とは狭いなあ・・」と思いながら、人々を救う責任の重さをひしひしと感じるイエス様でした。

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