イエス様物語(15) ~異端と呼ばれて~

Bible Study

二人の異端児

イスラエルの人々はメシアが来るということを大きな希望にしていました。

そのような中で「天国は近づいた」という人がいました。それがイエス様のいとこ、バプテスマのヨハネと呼ばれる男でした。
天国が近づいたということはつまり、メシアが来るのが近い、という意味だったし、彼は荒野で大声で叫ぶので人々が関心を集めないわけにはいかなかったのです。

もう一つ彼は言いました。「悔い改めよ!」と。
メシアが来るのが近いから悔い改めよ、と。

もう一人、「悔い改めよ!」と叫ぶ人がいました。それはヨハネのいとこにあたる、イエス、その人でした。

特に若い人たちが、二人についていきたがりました。
だから、ユダヤ教の祭司たちは若者たちに言いました。
「行くな!イエスのところへは行くな!」

なぜですか?と聞くと
「卑しい取税人たち、聖書の”せ”の字も知らぬ毛むくじゃらの男たちと並んで何がわかる?
何人も男がいる女も一緒にいるというじゃないか?
あのような汚らわしい人間どもと一緒に並んで神の何がわかるというんだ?」と言います。

イエスはこのような状況がいつも続くので、つらくなり、神様に一人祈りました。

異端とは何ですか?(イエスの祈り)

神様、私はナザレの田舎に育ってただ神様だけを愛して、聖書の言葉一つ一つをかみしめながら人生をここまで必死に歩いてきました。神様に教えていただいたことをただ述べ伝えて生きていく、神様だけが私の人生の主人だと思ってここまで来たのです。
聖書に”神様の言葉を命のように守りなさい”と書かれていたから、そのように命のように思ってやってきたつもりです。

それなのに、人々は、変にばかり思います。私達が間違っているといいます。異端だといいます。
でも、私には、何が間違っているというのか分かりません。
神様のことをよく信じているし、モーセを大切に思わないことはありません。十戒を大切にし、律法を深く胸に抱いて生きようとしています。それなのに、間違っているとばかり言います。
私についてくる人々がお酒を飲んで、世の中で姦淫の罪を犯しながら生きていたときには黙っていました。そのときには、彼らが神を知って正しい道に戻ってくるように!泣き叫んで戻ってくることを徹夜お祈りしていたのではないですか?それなのに、その様に神様のところへ戻ってきて信じて生きる、というと、それはまちがっている、そのような人は神様のところへ来るべきではない、というんです。それなら、彼らが変じゃないですか?

熱心にユダヤ教を信じていたのに、ここへきた人たちには、
「お前、酒も飲まず、断食ばかりして、祈ってばかりじゃないか!そんな風に溺れてばかりいたら変になる!」
と言うそうです。世の中でも何かの面で秀でている人々は皆、気が狂ったようにその道を追求して今日の日になったのではないですか?神様を真実につかもうとする彼らに、もっと堕落して生きろ、人間は間違うのが正常だというのです。
そんなめちゃくちゃな論理で彼らの人生に何の責任を取れるというのでしょうか?

私はどうして異端だといわれるのでしょうか?
神様が見るとき私は異端なのですか?

知らない人が異端だ

イエスは、このように祈りながら 降り積もる感情がわいてきて、気が付けば声がかれるほどでした。
そのような時、静かに神様の声が聞こえてきました。

”なぜ人は間違うだろうか?知らないからではないか・・”

続けて神様がおっしゃいました。

”あなたの言う通りだ。あなたがよくわかっているから、彼らが異端だ
しかし、言葉に気をつけなさい。舌を制して聞くものに恵みを与えなさい。
小さく見えても、幼く見えても、知っている人が大人なのだ。
彼らは知らないから子供なのだ。子供はあれこれ言う。しかし大人らしく柔らかい言葉を使ってあなたはあなたの道を行きなさい。私がいつも共にする”

それで、
「イエス先生、こんな風にやられっぱなし、弱弱しい、そんなやり方をしないで、はっきりと強く言ってやりましょう!」
という弟子たちにも言いました。

「神様が舌を制しなさいとおっしゃった。憎しみでは咎を覆えない。私たちが大人だから大人らしく生きろとおっしゃった」と。

そうして、イエスはただ日々訪ねてくる人の前で御言葉を伝えました。

エリヤはどうなっているのか?

そうしているうちに、ユダヤ教の人々も訪ねてきました。
彼らがイエス様の説教を聞いてみると、ケチをつける所がないし、いい話でした。
そして、彼らが弟子たちがイエスに接する姿を見ながら、弟子たちはイエスの事を救い主と思っているのだ、だからここについていっているのだな、と感じました。

もしかしたら、メシアなのかもしれない。
そう思わせるだけの御言葉がありました。

それでユダヤ教の人たちはイエス様の弟子たちに聞きました。
「お前たちは、お前たちの先生をメシヤだと思っているのか。もしメシヤなら、メシヤが来る前に来ると言ったエリヤの事はどうなっているのか。」と聞きました。

イエス様の弟子たちは聖書については殆ど知りませんでした。
だから内心、

”エリヤって誰だ?”と思いました。

それで、「イエス先生にきちんと確認しておきます。」といってその日は分かれました。
ユダヤ教の人々が帰った後、弟子同士で「エリヤってお前知ってるか?」と言いました。
結局、いくら話しても埒(らち)が明かないので、ついに弟子の一人が「イエス先生に聞こう!」と言いました。

そうして、説教の後面談をすべて済ませて夕食を召し上がろうとしているイエスのところへ行きました。
そして
「先生!エリヤのことを解決しましょう!」
と言いました。

イエスは、驚いて
「解決って何だい?」と不思議そうに聞き返しました。

弟子が言いました。
「今日来たユダヤ教の祭司の人が、お前の先生がメシアだったらエリヤのことはどうなっているのか?と聞いてきたのです。エリヤというお店のことですか?それを何か解決しないといけないんでしょう?先生のお父さんが大工ですから、壊れたお店を建て直すか何かするんですかい?」

と言いました。
それで、イエスは何のことだかわかりました。
そして、弟子に答えました。
「エリヤとはね、聖書に出てくる人物だよ。お店のことじゃないんだ。私の父の仕事でもないさ。
 しかし、彼らの話は正しい。メシアが来る前にエリヤが先に来なければならない。そういう話が聖書にあるんだ。
 つまり、私イエスがメシアだというのなら、エリヤは誰なんだ?それを知っているだろう?という話さ・・」

弟子は言いました。
「なーるほど。それではエリヤはどこにいますか。」

イエスは即座に答えました。
「今荒野で述べ伝えているバプテスマのヨハネだ。」

それで次の日、弟子は得意げにユダヤ教の人たちに話をしました。
「エリヤは来ています。バプテスマのヨハネがエリヤです。」

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