イエス様はメシアだから、 何もかもお見通しで、マジックみたいに奇跡をぱぱっと起こせたというイメージがあると思います。 でも、実際は熟慮に熟慮を重ねて、深く深く祈っていらっしゃったのだ、という話をある牧師さんに学んだことがありました。今日はその時の話を思い出しながら、4つの福音書から「イエス様と祈り」について、まとめてみました。
明け方の祈り
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
マルコによる福音書/ 01章 35節
明け方3時とか4時に、祈っておられたのがよくわかります。
ひっそりと祈る
そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
マタイによる福音書/ 14章 23節
昼間は人にあって癒したり、御言葉を伝えたりしていましたが、それが終わると、山に登り、一人そこで祈っておられたのがわかります。
イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた。
ルカによる福音書/ 21章 37節
オリブ山というのは、エルサレムの近くにある山です。オリブとはオリーブの山ということです。とオリーブがたくさん収穫できたと考えられます。
オリブ山の中腹にオリーブ油の圧搾所として使われていた洞窟があり、ここは冬の間使われておらず、格好の隠れ場となっていました。その近くの花園がゲッセマネの園と呼ばれているところです。 (NATIONAL GEOGRAPHIC社 聖書の世界より)
何かを決めるために祈っていた
このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。
ルカによる福音書/ 06章 12節~13節
十二使徒を選ぶために徹夜で祈っていたと考えるのが自然でしょう。
イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
ルカによる福音書/ 22章 44節
ゲッセマネの園では、何度も何度も祈りました。できることなら、十字架の道を行かないでもいいようにしてください。と。しかし、最後に「どうしても行かなければならないのなら行きます」という意味で「御心通りになるようにしてください」と付け加えました。
神様をほめたたえる祈りをしていた
そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
マタイによる福音書/ 11章 25節
ほかにも、神様をいつもほめ称えて感謝しました。神様のなさることは本当にすばらしい、と。ヨハネによる福音書で「栄光」という言葉がよく出てきますが、何より神様をほめたたえる祈りをたくさんされたのはイエス様でした。
とりなしの祈り
とりなし、とは、神様に弟子たちを紹介してあげたり、弟子たちの至らなさをかばってあげたり、といった祈りです。
イエス様が捕らえられるその日も、イエス様は御言葉を伝えておられました。
説教の後にした祈りの内容が、ヨハネによる福音書17章に記録されています。ここで、弟子たちのことをたくさん祈っていらっしゃることがわかります。
苦しい時も祈りを手放さなかった
そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
マタイによる福音書/ 04章 02節
メシアとして本格的に活動される前に、40日間断食の祈りをしていました。
そうする中で、悪魔との言葉での戦いが始まり、「人はパンだけで生きるのではない」というあの名言が出てくるんですね^^
十字架の上では、「父よ、どうして私をお見捨てになったのですか」といった言葉を発するほど悶えて苦しまれたりもしましたが、最後の瞬間には
そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。
ルカによる福音書/ 23章 46節
と祈って人生の幕を閉じました。
祈っていらっしゃる場面を見ると、なんだかイエス様の息づかいが聞こえてくるような気がしませんか?
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