自分探しの旅
人間について教えるね!と言われ、三分説を学んだら「霊」って出てきてびっくり!って思った方多かったのではないでしょうか?
Bible Studyを学ぶ目的は人によっていろいろあると思いますが、すべての人に共通していることは、 ”自分について知ること”だと思います。御言葉を学んでいなくても、神様を信じていなくても、 「自分」について知る必要性については誰もが実感していらっしゃると思います。例えば、
- どんな才能があるんだろう?
- 私の健康はどうやって管理したらいいんだろう?
- 私って人からどう見られているんだろう?
とか、知りたい人が多いです。
意外にも人は自分について知りません。
知らないから、テレビやネット上で多くの性格診断や、姓名判断やら、エゴサーチをしてみたり、あれこれ悩んでいるのですのではないですか?
24時間365日、1秒だって離れることなく、ずーっと「自分」を見てきたのだから、本当は自分が一番自分を知っているはず、なのに、いやいや、「灯台下暗し(もとくらし)」っていうでしょう? 客観的に自分を知りたいんですよ!というわけです。
裂いて(さいて)みる
自分を知る方法は日々進化しています。
少し前までは心理テストなどが流行っていましたが、最近は科学、特に医学が発達し、
・脳のタイプによって勉強法が違うとか、
・遺伝子を検査すると太りやすい原因がわかるとか、
・腸内細菌を調べるとナントカだとか、
「肉体」の細胞、遺伝子に至るミクロな世界まで細かく調べつくして様々なことがわかると注目されています。
よくわかるには「分類」して、「細かく見る」とよくわかるのです。
例えば、江戸時代末期ごろまで日本人はおなかの中にある臓器を「はらわた」とざっくり1つにしか考えていなかったところから、
「五臓六腑」というように、胃や腸、心臓に肺、といった形でわけて考えるようになり、随分と健康が守られるようになりました。
また、近年は、さらに進んで腸の役割や機能、どんな菌があるかまでわかるようになり、ダイエットとか、精神的な病とされてきたこととも関係があるといったことまでわかってきています。
こういったものの見方(知るための方法)として御言葉の中では
「裂いてみる」という表現を使っています。
つまり、「分類」して、分類した1つ1つを細かく見て知る、といった見方です。
アンバランスな知識
ところが、私たちが「人」に対して持っている知識というのはある角度から見たとき、とてもアンバランスだといえます。
医学の発展は目覚ましいけれど、調べれば調べるほど不思議で説明がつかないこともありますし、未知の世界も確かにあります。
とはいえ、100年前、200年前に比べれば飛躍的に知識量が増えているといっていいのではないでしょうか?
「われ思うゆえに我あり」とはデカルトの有名な言葉です。
すべての存在を疑ってかかりましたが、結局「疑っている自分」という存在は否定できない、という意味で唱えたといわれています。
この言葉に対して、夏目漱石の『吾輩は猫である』の主人公である猫は「人間は長い歴史の中でこんな当たり前のことしか思いつかない愚かな生き物だ」とあざ笑います。
結構これ、深いですよね
私たちは自分という存在、特に「心」や「哲学」的な観点、では動物に笑われてしまうような水準を超えていないといえるのでしょうか・・・
ましてや、霊についてはどうでしょうか?
聖書が書かれたのは今から3400年ほど前ですし、イエス様が来られてからも2000年が過ぎていこうとしているわけですが、 「気分的なもの」というレベルにとどまっているのです。
霊に振り回されている日本人
霊なんて、ないよ!といいつつ、日本人っていろんな霊に振り回されている人が多いなって思うんです。
学業の神に頭がよくなるようにと頼みにいき、
縁結びの神に気に入られないから結婚できないんだと悩み、
道を通りながら、ここを通ると神が怒るんだとか、
家でも台所やあちらこちらにいろんな神がいて、拝んだり、
山や海にいけば山や海の神を怒らせると大変なことになるんだと心配しているんです。
天の神様のいうとおり♪といって歌を歌ってみたり、
仏になった先祖を大事にしないとタタリがあると心配し、
死んだ人がお盆になったら霊が戻ってくるといってお墓に迎えに行きます。
肝試しで神隠しに会ったら怖いとか、霊を見たという番組までやっています。
さらには、結婚式だといって、キリスト教の神の前で結婚を誓ったり、
西洋のホラー映画をみて、十字架を出せば大丈夫だから悪魔対策は大丈夫なんだとか、
ゲームの中で多くの聖書の人物や天使が出てきてあれやこれやと働きかけてきます。
こんなに迷信に振り回されている民族がどこにあるんだろう?
と思うことがあります。
それなのに、「何の神も信じない」というし、
「見えないものを信じない」っていうわりに、
「あいつは何の空気も読めない」といって見えない空気を読めない人間をKYと卑下するのです。
知っていれば怖くない
少し前まで、日本人は「貯蓄」をして「投資」をあまりしませんでした。しかし、最近は年金問題や長引く不況で、お金の不安がさらに広がっているので、株とか金融商品などを扱う「勉強会」が数多く開催されています。正しい投資でお金を増やして豊かになろうというわけです。
以前、投資をしなかった理由は、詐欺に騙されて多くのお金を失う人がいたからです。
ところが、何もしないで持っているだけだと豊かになれないので、知識をつけることにしたのです。株式や金融の仕組みを熟知している人が、あやしい投資に騙されることはありませんから。霊についても同じことが言えます。知らなければ振り回されて、大変な思いをするだけです。しかし、知っていれば、人生を豊かにできると思います。そのためには「体系的で正確な知識」が一番大事だと思います。
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