洗礼(バプテスマ)について

Bible Study

バプテスマとは?

バプテスマといえば、洗礼と翻訳されます。
洗礼といえば、キリスト教で信者になるために、様々なイベントとともに、
「水」につかる、または水をかけられる儀式です。
洗礼を受けると晴れてクリスチャンです。 といっても、教派によって様々な洗礼のやり方があります。

クリスチャンの定義というのは、「イエス様をキリストとして信じる」ということにありますが、 何をもって「信仰を持っている」と定義するのかは人間が決められるものでもないのかなといったところです。

水の洗礼は誰が始めたか

ユダヤ人は生まれて8日目に割礼というのを行ないます。
が、水で洗礼を施したりしていませんでした。

一説にはユダヤ教から受け継いできた儀式だといいますが、おそらく、血統を大事にしていたため、途中から入信する人について書かれていません。

祭司たちが捧げものを行う前に水で完全に洗い清めるといった風習はありますが、祭司に限られたもので、一般の人はそのようにしませんでした。
強いて言うのなら、重い皮膚病や生理になるなどして「汚れ」ると、水で洗う習慣がありました。 しかし、儀式だという明確なものは見つかりませんでした。

最初に洗礼を行ったのは、バプテスマのヨハネと呼ばれる、イエス様と親戚関係にある人物でした。 彼を「バプテスマのヨハネ」とか「洗礼ヨハネ」と呼びます。

バプテスマのヨハネの生涯

彼のこと、簡単にまとめます。

父:ザカリヤ 母:エリザベツ
・二人ともアロン(モーセのお兄さん)の家系で由緒正しい家柄。
・子供がなかなかできなかった

生まれる前の預言
・父ザカリヤが香(こう)を聖所でささげていると天使が現れて

彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。

ルカによる福音書/ 01章 17節

といったのです。

子供時代
・不明(記述無し)

大人になって
・イエス様より先に「悔い改めよ」と述べ伝えた。(マルコ書1:4など)
・水で洗礼を授けていた。
・イエス様にも洗礼を授け、その時イエス様がメシアであるとわかる。(マルコ書1:10)

イエス様がメシアだと分かった後
・一時期は一緒に活動していた
・その後離れて活動した
・当時の王ヘロデが不倫していたことに口出しし、囚われの身に
・王の策略に会い、獄中で殺される。

とこんな略歴の持ち主です。

なぜ洗礼を?

2つの理由があります。
1つ目:水は良心を意味し、良心(=清められた心)が神様に向かうことを意味していた。
2つ目:メシア探し。聖霊が鳩のように下るのを見たら、その人がメシアだと啓示を受けていた。

バプテスマのヨハネは、イエス様は「マラキ書で預言されたエリヤ」だといっています。
メシアが来る前に遣わされたエリヤだというのです。
しかし当人は、そういった預言や生い立ちがありながらも否定したり、
そうかと思えば「荒野で主の道をまっすぐにせよとの声(=エリヤのこと)」だといったりしていました。

また、メシアだとはっきり啓示を受けたと書かれていつつも
獄中では「気たるべき方はあなたなのですか?」と弟子を使わして聞いたりもしています。

イエス様と弟子たちの洗礼

実は本人が水で洗礼をうけた、という記述はあるのですが、本人が水で洗礼を授けている記述、 一つも見当たらないのです。

実際バプテスマのヨハネは、

わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。

マタイによる福音書/ 03章 11節

とあるように、水ではなく、火という御言葉と聖霊の感動を起こしたということになるのではないでしょうか?

では、イエス様の弟子たちはどうしたか?というと、なんとも曖昧なのです。

すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。

使徒行伝/ 01章 05節

と語った後洗礼を授けているとあるので、やはり聖霊?
と思いますが、

そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。

使徒行伝/ 08章 38節

とあって、水の中で洗礼を授けているようにも見えます。

この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。

ペテロの第一の手紙/ 03章 21節

等とも書かれてもいます。
なかなか難しいところで、バプテスマに当時から様々な論議があったことがみて取れます・・。

大きな感動をうけること

日本語で洗礼というと、キリスト教の洗礼の意味意外にも、「その後に大きな影響を及ぼす経験」を意味して、「洗礼」という言葉を使ったりもします。また、「ある集団や分野の一員となるために避けて通れないもの」を指すことも多いです。

人は神様やイエス様に出会うと、事態が目に見えて好転していくのだそうです。

人生、神様が3度通り過ぎるときがある、という迷信のようなお話も聞いたことがあります。あなたのそばを通り過ぎて、何か大きな祝福がすぐそばまで足音をたてて訪れようとしているかもしれませんよ^^

コメント

タイトルとURLをコピーしました