ヘロデ王(前編)

聖書の人物

聖書のヘロデ王は2人いる

ヘロデ王と言えば、新約聖書に登場する王です。
ちなみに、聖書には2人のヘロデ王が登場します。
この2人は親子で、二人を区分するため、歴史上は父を別名「ヘロデ大王」と呼んだりもしますが、聖書では区別なく「ヘロデ」と書かれています。
イエス様の生きたイスラエルの政治的背景を作った一族でもありますので、調べてみました。

ローマと手を結ぶヘロデ一族

ヘロデ一族はユダヤの南部にあるイトマヤという地域の出身です。難しい地名は世界史に任せるとして、アラブの血が流れていました。

紀元前135年~104年の30年ほどの間に、ユダヤに再び併合され、住民はユダヤ教に改修するか、土地を離れるかといった選択を迫られました。
ここで、アラブの血が流れているけど、表向きはユダヤ教徒の家庭で育つことになります。
ここで、ヘロデ大王の父、アンティパトロスとヘロデ大王がこういったユダヤとはちょっと違う血の流れというのもあり、当時ユダヤを支配下に収めようとしていたローマ帝国と手を結ぶとになります。
(この時ローマは、有名なユリウス・シーザー・カエサルの時代)
彼らはローマの市民権を手に入れたりもしました。

一度はペルシャに攻め入られて劣勢になったが

その後、カエサルが暗殺され、ローマ帝国の政権交代の後、ペルシャを治めていたパルティア人が攻めてきます。
滅ぼされそうになりましたが、ローマに再度支援を受けようと言葉巧みに説得し、まずはローマからヘロデ大王としてユダヤの王に任命してもらうようになりました。
最初は、王とは名ばかりでしたが、ローマに援軍を送ってもらうなどしてパルティア人を追い出すことに成功し、ヘロデ大王の政治が本格的に始まります。

ヘロデ大王


ヘロデ大王は、紀元前73年頃生まれ、紀元前4年に亡くなったとされています。
先ほどの背景から、ヘロデ大王が王になったのが、紀元前37年。ヘロデ大王の統治時代は平和と繁栄の時代でした。

紀元前25年にはこの地方で大飢饉がありましたが、エジプトから小麦を輸入して民を救済したり、さまざまな建物を建設するといったことも行いました。
紀元前10年頃には、大理石の建物が増えたため、まぶしい都会になりました。
今でいうのなら、過疎の村がいきなり大都会になるぐらいの変容だったかもしれません。

圧政者ヘロデ大王

このように、歴史的な業績も大きいヘロデ大王ですが、根っからのユダヤ人というわけではないため、歴史的あるいは地理的な土地の人々の感情を無視して建物を建ててしまったり、ユダヤ人の暮らし向きは思ったより豊かにならなかったため、不満は常に渦巻いでいました。

また、ヘロデ大王はいつも人を疑い、それにより無実の人々が多く処刑されました。
最終的には、80歳を過ぎて後には、妻、妻の母まで疑い処刑してしまいます。こうして、一族の人間までもが次々と死に追いやられることとなりました。

ラマの叫びなく大いなる悲しみの声

治世の最後のころ、イエス様が誕生します。
3人の博士により、イスラエルの王が生まれた、という話を聞いて、不信の塊のような彼は嫉妬し、不安になります。そうして、2歳以下のエルサレムで生まれた男の子を全員殺すという暴挙に出たのです。

叫び泣く大いなる悲しみの声が/ラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった

マタイによる福音書2書19節

この時イエス様は父ヨセフの夢の啓示(お告げ)により、エジプトへ逃れることになりました。そうして、ヘロデ大王は80歳を超える高齢でしたから、死ぬようになり、イエス様と家族はイスラエルの北の地域、ナザレに戻ってきて定住するようになるのです。

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