八方ふさがり

聖書の人物

険しい御言葉の峰を行く

バプテスマのヨハネが死んだ後もイエスは絶え間なく御言葉を伝えていました。

イエスが病気を治してくれると噂になり、多くの人が祈りを受けに来ました。
元々神様を信じていなかった異邦と呼ばれる地域の人々が続々とイエスを信じるために集まっていたのです。

どれ程反対してもイエスは御言葉を伝えることをやめませんでした。
多くの若者が皆イエスの集まりに集まっており、人の群れができるようになっていました。

律法学者たちの陰謀

律法学者たちは、イエスが多くの人を集めることについて快く思っていませんでした。
自分たちの居場所がなくなると勘違いしたのです。

それで、律法学者たちは、数多くのうわさを流しました。

「イエスは悪霊の頭がとりついている。悪い奴らが手下に無理やり悪い仕業をして助けるという自作自演をしているのだ」と批判しました。
また、イエスが多くの人を集めて反社会的なことをしようとしている、とも言いました。

表面的には「イエス先生」と呼ぶけれど、揚げ足を取ろうと様々な難題を投げかけました。
彼らは、イエスが預言されたメシアではなく、「自称メシアだ」と真剣に考えるようになっていたのです。
メシアが来る前に来ると預言されたエリヤやバプテスマのヨハネだ、とイエスは言ったが、バプテスマのヨハネは自分をエリヤではないと言った、
だからイエスは私利私欲のために人を集めているのだ、けしからん!と世論を作ったのです。

枕するところがない

しかし、弟子たちは、聖書も世の中のこともよく知りませんでした。
そうして、弟子たち同士で互いに口論になり小さな諍いを起こしたりしてイエス様を困らせたりもしました。

イエスは心休まるときがありませんでした。

明け方に祈れば祈るほど、神様が計画された最初の救いの歴史が広げられていないということをひしひしと感じていたのです。
イエスが祈って聖書を読めば読むほどノアのこと、ソドムとゴモラのことが思い出されました。
神様は言いました。
「腐ってしまった食べ物を惜しいと思う人間がいるのか?未練なく捨てるだろう?」

神様、悔い改めの御言葉をくださいました。
私たち人間が神様の怒りをくらったら、誰がこの地上で生きていけるでしょうか?
イスラエルは今の今まで、捕虜となって多くのくびきを負い、母たちが子らを失う悲嘆の涙で
ただ涙だけが私たちの民族の食べ物でした。
どうぞ、私は神様に愛と平和をなすために遣わされてきたのですから、私に愛と平和をもたらすために私をお使いください。
世の中の罪人も、誰かが代わりに罪を背負ってあげたのなら許されます。
神様、彼らは幼くて、神様の御心が悟れません。
めんどりがひなを抱くように、私がこの民を抱いてどんなことをしてでも救いの道を開いてください。

イエスは必死に祈りました。

そうしながら、弟子たちには、夜遅くまで特別に御言葉を伝えたりもしました。
歴史は同時性だから、神様の歴史について深く学ばなければならない。
そうして、アダムとエバのときから初めて聖書を元に舌が磨り減るほどに聖書について教えました。

サタンよ、引き下がれ

そうしていくうち、
イエスは、私も預言者イザヤのように肉の命を差し出さなければならないときが近いようだ、と悟りました。
それで、弟子たちを数人ずつ集めて、
「自分はエルサレムへ行かなければならない。そしてそこで殺され私の肉体は死んで霊としてよみがえる」という話をしました。

弟子たちは、その意味はどういう意味ですか?と深く踏み込んで質問することができずにいました。
しかし、ペテロは言いました。

「先生、あなたの命が大事です。どうかエルサレムにはいかないでください。
そこまでしてこの歴史を広げていかなければなりませんか?
それならば私のふるさとガリラヤで静かに暮らせばいいのではありませんか?」と言い始めました。

イエスはペテロがこれから自分がどうなるのか?と不安になっているうち取り乱したような心持になっているのだと気が付きました。
それで
「サタンよ!引き下がれ!お前は神のことを思わないで人のことを思っている!」と叱りました。

ペテロはすぐ、「先生、すみません」と謝り、落ち着いたものの、
イエスは「あなたも疲れているだろうから、今日はかえってゆっくり休みなさい」といって別れました。
一人になったイエスは思いました。
あの幼い信仰者たちが私がいなくなるこれからの患難に耐えて信仰を持ち続けていけるだろうか?

すべての道がふさがれているような感じがして、うっそうとした闇に放り出されたような重苦しい気持ちでした。
それでも私の心が崩れてはいけない。そうして、イエスは膝をついて一人深く神に祈りをささげるのでした。

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