中心人物論を考える

Bible Study

中心人物を表す言葉を整理

”中心人物”という言葉がよく出てきます。
日本語で中心人物というと、ある集団で最も重要な位置にある人または中心となる人と言えます。御言葉では、「中心人物」というと、聖書の中の時代ごとにその時代を代表する中心人物のことを主に意味して使っています。

中心人物を、神様から命じられたことを行うという意味で、「神様の使命者(しめいしゃ)」と呼んだり、
神様の仕事を行うという意味で「神様の使役(しえき)者」と呼んだりもします。

また、「表象者(ひょうしょうしゃ)」と呼ぶこともあります。
表象とは、日本語の意味としては”象徴。また、象徴的に表すこと”という意味ですが、御言葉では「模範となるような人」といった意味合いもあれば「神様は見えないのでその人を通して現れるので神様を象徴した人」という意味で使ったりもします。

ざっくり言えば、神様から見た時代ごとの主人公が中心人物だと捉えてよいと思います。

例えばどんな人がいるの?

ノア、モーセ、ヨシュア、
また、預言者(よげんしゃ)と呼ばれたサムエルやイザヤ、エレミヤなど
サウル王、ダビデ王、ソロモン王、エステル記のエステル、ヨブなど様々な人がいます。
ギデオンやサムソンに代表される士師(しし)と(口語訳聖書では「さばきづかさ」とも)呼ばれる人も中心人物にあたります。

聖書のおもしろい中心人物たち

神様は行き当たりばったりで歴史を進めていくことはありません。
どんな組織だって、道端で、その場のノリで代表者を選んだりしませんよね?
長いこと計画しておいて、何世代も前から準備しておられるのです。
そうして、一人の人が生まれるようにしておいて、その人をさらに徹底的に鍛えて、いわば実力者にしていくのです。

彼らは、人間臭くって、それでいながら、とんでもなく実力者で、神様が働きかけて神秘的なことを行なったりもします。彼らに従う民も一筋縄ではいかないような人たちも多く、あれやこれやと文句を言ってみたり、困らせたりします。

中心人物を端的に表す短い総会長牧師のみ言葉があります。(1980年代ごろに伝えられたものだと思われます。)

火のような試みを不思議に思ってはいけない。練達(れんたつ)するために、あるいは神様の御心があって試み(こころみ)にあう場合が多い。火のような試みを受けてみたり、練達も受けておいたら、火のような試みにあっても大胆に退けられ、環境に揺らがなくなる。ヨブのような忍耐、ダニエル預言者のような信念、エステルのような一片丹心、ヨシュアのような大胆さ、モーセのような指導力、アブラハムのような絶対的信仰、エリヤやエリシャのような霊感、ダビデのような勇気、ソロモンのような知恵、パウロのような処世、使徒ヨハネのような黙示的信仰、主のような心情、神様のような立場、これらなくしては天も地も喜ばせることができない。

(※試み:試練といった意味)

現代にも通じるリーダー学

御言葉を伝えていると、男性に特に多いのですが、「ボク、指導者になりたいです!」とよく言われます。 指導者、というのは要するに、世の中に何か影響を与えるような、世の中をリードしていくような先んじた人になりたいという意味です。

世の中は、最近の若者は無気力無関心で、人の犠牲になってリーダーになろうとする人がほとんどいない、なんていう人がいますが、実際の感覚でいえば、むしろ多いと思います。 ああ、親御さんや前の世代の人たちを肌で感じながら、あんな風な失敗はしないぞ、と 人格的であることを自分に課しながらも、考えながら準備しようとしているなという感じが伝わってくるような方によく出会います。

実際、メンタルが弱いのが日本の若者の課題、などと言われていましたが、10代20代前半で世界的に活躍するスポーツ選手だって本当に多いです。

今すぐ使える学びを重要視するのは数十年前からだそうです。
経済界の重鎮たちが、有名国立大学の教授たちに「即戦力となる人材を育てて社会に送り出してください」とお願いしたら、 「すぐに使える奴はすぐに使えなくなる」とお答えになったそうです。

英語やプログラミングなどの実践的な科目を重視する傾向が根強くあると思いますが、歴史や物語を読んで豊かな心を磨くような教育も、あったほうがいいんじゃないかな、と思うことがあります。

誰も踏み入れたことがない、体験したことがない未来を生きる人たちですから、前例を参考にしつつも新しい道を開拓する人たちになると思います。

ああ、もう、、言わなくっても私がバイブルスタディを押し売りしそうな空気になってきましたね。なってきたところで、今日はこの辺で筆を置きたいと思います。

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