イエス様物語(11) ~一番弟子ペテロとの出会い~

Bible Study

ガリラヤ湖

ガリラヤとは、ナザレにほど近いイスラエル北部の街でした。
ここに、ガリラヤ湖と呼ばれる湖がありました。
ガリラヤとは「周辺」「辺境」といったような意味でした。
エルサレムを重要視していた当時のイスラエル人たちは、エルサレムから遠く離れた北の地域を信仰的な面や地理的な面でさげすんでいたのです。
ガリラヤの人たちは、ユダヤ教をはじめ、神を信じない人たちのほうが多いぐらいでした。
都会の人が田舎をさげすむように、
神様を信じない人をさげすむような気持ちがないといえばうそになるのでした。

しかし、この湖を船で進むと、イスラエルだけではなく、
あちらこちらへと行き来するのに便利でしたから、
何百もの船が行き来していました。
活気のある街だったのです。

またここでは、大きな魚が釣れました。
イエス様が生きた当時の人々は、この湖を「海」だと思っていました。

この海のような湖に関わって生計を立てている人が数多くいたのです。

海の男

このガリラヤ湖には、何百という船が行きかっていました。
人々を運ぶ船だけではなく、豊かな湖の魚たちがこの地を支えていました。

この大きな湖で男の中の男と言えば、あいつ!
と呼ばれるほどの男がいました。

その名はシモン。
彼はこのガリラヤで生まれ、育ち、来る日も来る日もガリラヤの海に漁に出かけました。
このガリラヤの海の魚、そればかりを追いかける人生でした。
一人海原に漕ぎ出して荒れ狂う海と戦うことも珍しくなかったのです。

魚のことしか知らないシモン。
しかし、魚のことなら海に波が立っているのを見ても、魚がどの辺に集まっているか分かりました。
シモンに捕まえられない魚などいるのだろうか?と言われるほどでした。

日に焼けて、その腕っぷしは強く、ひげもじゃの、荒々しい男です。
妻も子もいて、妻の母もいましたから、ただ家族のために生きる人生でした。

ひげもじゃの、真っ黒に日焼けしたシモン。
荒っぽい声が港にこだましない日はありませんでした。

一匹も獲れぬ!

ある日、網を何十回何百回投げても魚が捕まりませんでした。
これは一体どうしたことか。
今まで持っている経験と知識からして、釣れない理由がないのに・・
あろうことか、1匹も釣れないのです。

それで腹も立って、いろいろ悪口を言ったりしました。

”くっそ!これはこの仕事をやめろということなのか。”
”海の神が何だ、くそくらえ!俺様を何だと思ってやがる!”
怒りに任せて荒々しい言葉遣いが口から飛び出します。

こうなったら釣れるまでとことんやってやろうじゃないか!

それで結局その日一夜を明かしてしまったのです。
俺の意地だ!と夜明けまでずっと漁をしましたが、一匹も釣れなかったのです。
それで、仕方なく、陸にあがったのです。

眠くなったし、腹も減っていたし、非常にやりきれない気持ちでした。
一体俺は何のためにこの魚を獲る人生をただ繰り返しているのか・・
むなしい心に襲われながらも、漁で使った網を手入れしました。

さあ、今日は家に帰って少し寝るとするか!
寝ればまた明日の風が吹いてくるさ!
シモンは、元来楽天的な男ですから、ふうっと息をして、立ち上がりました。

すると、この早朝に、なぜか海辺に多くの人たちが集まっていたのです。

なんだ?
男ばかりではなく女や子供まで・・
まだどの地域に行き来する船の出発にも相当な時間があるし・・
何かの市が立つなどとも聞いたことがないぞ・・。

それで集まっている人に聞いてみたら、イエス様という人が人生に関しての講義をするとのことでした。

舟を貸して

この朝早くから、結構なこった・・。
賑やかになる前に失敬しよう。

シモンな内心そう思いながら、家に向かって歩いていこうとしたその時です。
ある人がペテロのところに来て話しかけたのです。

「ちょっと船を貸してもらえないですかね」。
その人はイエス様が送った人でした。
御言葉を船に乗って伝えるために船を貸してくれと頼みに来たわけです。

ペテロはその瞬間腹が立ちました。
こんなにも多くの人がいるのに、なんでよりによって私に声をかけるのか?
それで、鋭いまなざしは更に険しくなり、むっとした雰囲気が見て取れるほどでした。
馬鹿野郎!と大声を上げそうになりましたが、
周りを見てみると多くの人がいましたし、
なぜか心の中で、まあ、網の手入れは終わったけど、船を出すぐらいなら何でもないし、
なんだか楽しそうな集まりだし、
この人たちに自分のむしゃくしゃしている気持ちをぶつけたからって何の意味もないし・・
と立ち止まりました。
どうせ帰っても寝るだけだし、
貸してあげてもいいんじゃないかという気持ちになりました。

「舟など何につかんですかい?」

シモンがそう聞きました。
声をかけた人は少し怖く感じましたが、

「あ、あの、、イエス先生が海の沖から説教をしようと思いまして。
風上から声を出せばより多くの人が話を聞けるから、できれば船に乗るのがいいんだとおっしゃるのです。」

ほう・・・
その先生とやらに会ってみるか!
シモンはますます興味がわいてきたのです。

そこでシモンは答えました。
「あっしの舟を誰かに操縦させるなんてこたあできません。
この海に下手に漕ぎ出してイエス先生もろとも海にドボンなんてことがあったらてえへんでしょ?
あっしがそのイエス先生とやらを乗せて海までお連れしてもいい、ってんなら、貸してやってもいいですがね」

すると、そのイエス先生の弟子と名乗る男は、
「願ったりかなったりです!いいのですか!!!」と大はしゃぎ
「すぐにイエス先生を呼んできます!」

出会い

どんなに偉そうな人なのかね・・

少し待っていると、ワイワイと人の波とともに歩いてくる男がいます。
舟に乗るまでにも長い時間がかかりました。

先生、先生、といってあの人がこの人が何かを話しかけては答え、
時に立ち止まって祈ったりしています。

「さあ、時間ですから、、後で会いましょう」
その声の後、すっと一人で歩いてくる人がいます。

「はじめまして。今日はご無理を言ってすみませんね。
遅くなってしまったでしょうか・・。よろしくお願いします。」
イエス様がそう答えるので、ペテロは、拍子抜けしたような気になりました。

こんなに静かに話してて、ほんとに大丈夫だろうか?
内心あらぬ心配までもしたのです。

「へえ」とだけいって、イエス様を船に乗せると、沖へと漕ぎ出しました。

―炎のような
ほどなくして、人の集まりの真ん中ほどにきて、海の上で船をそっと止めました。
近くもなく、遠くもなく、程よい場所にピタリと止めたのです。
すると、イエスはすっと立ち上がり、両手を上げました。

岸で皆がわーーーー!と拍手をしているのです。
このような集まりを見るのはペテロも初めてでした。

「ハレルヤ!」

といったとき、ペテロは思いました。なんだ?晴れてるのがうれしいのか?
ペテロは、宗教とは縁遠い人でしたから、聖書のセの字も知らなかったのです。

この静かな人がひとたび口を開くと、
心に剣のように突き刺すような、ずしんずしんと響くような言葉が出てきます。
静かなのに、その言葉がぐさり、と自分に響いてくるのです。

「ただがむしゃらにやったからと言って成功するだろうか?」
その言葉がぽんと耳に入ってきました。

「海というのは世の中だ。海で起こる心配と痛みと、苦痛、苦悩、煩悩、このような波をどのようにふせぐことができるだろうか」

「私たちは人生を生きるとき、考えながら生きなければならないんだ。
うまくいかない時、それは全知全能なる神が足をとどめて何かを知らせようとしているときなんだ。だから、考えてみなければならないんだ。皆、神が計画したことがある。」

驚いてしまいました。まるで自分が漁をしながら話したこと考えたことを皆聞いていたみたいな話じゃないか!

それから、「あなたたちが人生をいくら楽天主義で生きるんだとしても、また若さを燃やして生きるんだとしても、いつか時間がたったらみんな年老いてしまうんだ。だから人生に対する虚しさをいうのを再び考えて、今生きているこの現実についても深く考えて、未来に対しても深く考えながら、決して虚しさの中に落ちていってはいけない」と言いました。

話を聞きながらペテロは初めて自分の人生について向き合い考える機会を持ったのです。
漠然と考えてきたこと、それが一つの炎になって、何か熱いものがこみ上げてきました。

疲れて眠かったし、他の人より聖書の知識がありませんでしたから、わかるところだけを拾って聞くようにしかなりませんでしたが、
それでも、空腹も忘れ、時間が過ぎていくのも忘れて、御言葉に深く入って聞いていました。

皆が先生といってこの人に答えを聞く気持ちがわかる。。
私は今日聖書に出てくる神という存在について初めて聞いたが・・
もう少し話をしてみたい・・。

あっという間に数時間が過ぎて、舟を船着き場へと移動させました。

対話

舟から船着き場の向こうに皆が列を作って待っているのが見えました。
舟を降りたとき、イエスはくるりと後ろを振り返り、
「ありがとう」柔和な中に深みを感じざるを得ない笑顔でふっとシモンに語りかけました。

今しかない!
ペテロは意を決して
「あ、あの・・・これは私の船でして・・。船酔いなどなさいませんでしたか?」

すると、イエスは
「そうですか。ありがとうございました。
では、海の波と戦う仕事なのですね。ご苦労なさってきたでしょう。」

と言いました。シモンは、
「あっしは、神だの宗教だの、まったく存じ上げません。ですから、あなた様の話をどれだけ理解できたかはわかりませんが、それでも衝撃をたくさん受けました。
それで、一言お礼が言いたくて・・」
と深々と頭を下げました。

イエスはこのひげもじゃの男が・・と不思議な気持ちになっていると、シモンは続けざまに言いました。

「あっし、実は見ての通り気の荒い男です。あなたの弟子が来てかしてくれというので怒鳴りあげるところでした。そもそも私は徹夜でして・・
あっしは、漁の腕だけは狂いのない男でした。昨晩までは・・。
ところが、一晩網を投げても投げても魚が一匹も釣れなかったのでございます。
で、こんな人生、あんな人生、一人で海の神よ、出てこいなどと申しながら、あれこれと文句を言っていっておったのでございます。そこへあなたのあのお話で・・。
神はいるのだなと思いましたし、その、えー、神のご計画とやらですか・・
あっしにもあるんでしょうか?知りたいな、などと思いまして・・・」

それで、イエスは内心びっくりしたのです。

人は見かけによらないのだ・・。
荒々しく見えても私の今日の話はまるでこの男のためだったとでも言わぬばかりではないか・・。
この男は偶然通り過ぎていく人間ではなくて、御心があるんだ・・。
今日私がここに来たのはもしかして、この男に出会うためだったのか?

ふっと振り向き、もう一度船にペタンと座り込みました。
「ああ、、船酔いが少し冷めるまでいさせてください。
あなたのお話面白いですね・・もう少し聞かせてください。」

そういって二人の対話が始まりました。
対話していくたびに、率直で素朴に質問するけれど、賢い人だとわかりました。
「もう少し私の御言葉を学びにきてください。」といいながら対話が終わろうとしている時、
シモンは言いました。

「イエス様、私がこの職業をやめたほうがいいんでしょうか。続けたほうがいいんでしょうか。船乗りで終わってよろしいのでしょうか。他の事をすべきでしょうか。本当に私がすべき仕事は何でしょうか。」

それでイエスは確信しました。
「そうか!私がここに来たのは間違いない!この人に出会うためだったんだ!」

それで言いました。
「あなたが釣れなかったことにこだわっているようだから、一度経験してみればいいではないか!あなたが一匹も釣れなかったのは私に出会うためだった!もし1匹でもつれたのなら、あなたは岸にいなかっただろう。その証拠に今沖へ出てみよう!魚は釣れる!」

シモンはびっくりして言いました。
「先生、今の時間は交通の舟も多く行きかっていて魚は逃げるばかりです。連れたことなどありませんが・・お言葉ですから網だけは下ろしましょう」

そういって網を投げると、ものすごい量の魚が釣れたのです。

ペテロは更に驚いてイエス様に言いました。
「私はあなたを通して働かれる神を冒涜するようなマネをしてしまいました。申し訳ございません!」

今日初めて御言葉を聞いたのに、御言葉を深く考えている姿にイエスは大変な感銘を受けました。

それでイエスは言いました。
「魚を取れば人々は豊かになるだろう。
しかし、あなたの人生は、ガリラヤの海の魚ばかりを追いかけていればそれだけで終わる。人生は短い。
夜の海で魚のごとくさまよう人々を捕まえて人々を豊かにする仕事をしていけばいいのではないか?
あなたは門外漢だというが・・神がお選びになればできないことはない。
私についてこないか?」

ペテロは静かに「はい」と強くうなずきました。

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