イエス様物語(16) ~野ざらしの獄~

Bible Study

荒野で呼ばわるものの声

ユダヤ教の人たちは
イエスがバプテスマのヨハネがエリヤだと言っていたのを聞いて、
バプテスマのヨハネの所に行って、確かめようとしました。

「先生、あなたは多くの人を集める神から来られた方だと噂しています。
 あなたは聖書に預言されている来るべきエリヤなのでしょうか?」

しかし、バプテスマのヨハネはこう答えました。
「いいえ。私はそのようなものではありません。」

それで少し怪訝そうな顔をして一緒にいった別のユダヤ教の人が訪ねました。
「それではあなたは預言者ですか。」

それにも同じく、バプテスマのヨハネはこう答えました。
「いいえ。」

そこで、最初に聞いた男が訪ねました。
「それではあなたはメシヤですか。」

すると即座に答えました。
「いいえ、違います。そのような大それたものではないでしょう。」

ユダヤ教の人たちは、バプテスマのヨハネの答えによってこの若者たちが集まっているイエスの集まりとバプテスマのヨハネの集まりが何なのか、結論を出そうとしてきたのです。
イエスがメシアでヨハネがエリヤだというのなら、そういうこともあるのかと考えるつもりでした。

ところが、バプテスマのヨハネはエリヤでも、預言者でもないし、メシヤでもないと言っています。
それでもう一人の男が言いました。

「それなら!あなたの集まりを何だと思えばいいのでしょう?
 神の御心に背いて人を集めているのでしょうか?
 メシアでもない、エリヤでもない、預言者でもないのなら、なぜユダヤ教の集まりとは別にあなたは集まろうとするのですか?エルサレム神殿で一緒に律法の書を読めばいいのに・・」

そこでヨハネは静かに言いました。

「私を誰かというのなら、”荒野で呼ばわる声”です。荒野で悔い改めよという声です。そのようにせよと生まれながらに神から使命を仰せつかったのです。」
そうして、自分の生まれたときに起こった出来事を話しました。

ヨハネのところから帰る道すがら、ユダヤ教の人々は話し合いました。
そうして
「荒野で呼ばわる声とはすなわち、預言者イザヤの書にある”エリヤ”ではないか。エリヤではない荒野で呼ばわる声ならば、勝手に叫んでいるだけではないか・・。
つまり、それではなんでもない人が大騒ぎをしていたのか。
イエスという人は、バプテスマのヨハネが多くの人を導いているからエリヤだとうそをついたわけだ・・」
そのような結論に達したのです。

だから、
「これからは、バプテスマのヨハネの所にも、イエスについて行く人も異端視し、追放しよう。」
そう決めて、宣言したのでした。

墓穴

バプテスマのヨハネは、確かに、霊感の鋭い人でした。
エリヤのような霊的な力を持っていましたから、祈りは鋭く、人々を見分ける力も素晴らしかったのです。

彼は正しいことは正しいのだ、許せないことは許せないのだ、といった気質を持った人でした。
特に間違いに対しては、非の打ち所がない論理で鋭く間違いを指摘しました。
決してあらがえない鋭い指摘に、どんな強い権力者も彼の鋭い一言に苦水(にがみず)を飲まされたような心地になるのでした。

時に、言われたくないようなことを人前で説教だといって、言いふらすので、そのようにされた権力者たちが、いつかあいつを・・と思っていたのです。

しかし、ヨハネは大祭司ザカリヤの息子です。由緒正しい家柄の出身でもあり、群衆もその鋭い説教から、彼はただものではないと思っていましたから、うかつに彼に手を出すことができないでいました。

そうしているうちに、彼は王のことまで話が及びました。

「悔い改めよとは、誰もがみな同じくだ。王だとしてもだ。
ヘロデ王が自分の弟の妻をめとった。そのようなことは言語道断である。
人の道に外れて何が王か・・悔い改めよ。そうでないのなら神の裁きを免れることはないだろう。」

そのように話したので、民の間で大騒ぎになったのです。
それで、バプテスマのヨハネは王を冒涜したと言って、獄に入れられるようになりました。
彼を獄に入れないのなら、ヘロデ王の威厳を保つのが難しいほどに、バプテスマのヨハネを担ぎ出して暴動がおこりそうだったからです。

野ざらしの獄

お前は荒野で叫ぶ声だろう。
ならば、荒野に行くがよい。

彼を恨んでいた権力者たちが、彼を野ざらしの獄へ追いやりました。
屋根もない、砂漠のような場所でただ、鉄格子が高くそびえたっている場所でした。

バプテスマのヨハネの弟子たちが、日に1度、水や食料を持っていきました。

彼は囚われの身になって初めて考えるようになったのです。
今までのことを思い出すようになったのです。そして、聖霊が鳩のように下ってきたあの日のことを思い出したのです。
それで、弟子に、イエスに訪ねてきてくれ、と伝言をしました。

「来るべき方は、あなたですか。それなら私を救って下さい。そうすれば私はあなたがメシアだと信じます。」と。

絶望

イエスはバプテスマのヨハネからの伝言をもって弟子たちが来た、という話を聞きつけました。
丁度、集まっている人たちに癒しの祈りをしてあげて、これから御言葉を伝える準備をしようか、と思っているところでした。

密かに訪ねてきた弟子です。部屋の奥でひそかに話を聞こうとしました。
イエスは弟子たちに最大の経緯を払って尋ねました。

「ヨハネ先生の様子はいかがですか?」

そこで、獄につながれるまでの状況や、獄での様子などを聞きました。そして、伝えてくれと言われた伝言を弟子たちが伝えました。

イエスはその言葉を聞いて、しばらく言葉が出ませんでした。
しばらく悩んだ後、ヨハネの弟子にイエスは答えました。

「ヨハネの所に行って、伝えなさい。
 メシアをどうやって悟るのか?聖霊があなたに許諾したのなら知るだろう。
 私がメシアかどうか・・あなたが神様に聞いてみなさい。
 今ここで、信仰的に神様のことを知らないでいた人たち、真理の盲人たちは見えるようになった。
 神様の御心を行えと言われてもできなかった人たちは悔い改めて清くなっている。
 そして、神様の前で霊が死んでいた人たちが生き返っている。
 私はただそうやって生きていると伝えてほしい。」

彼が帰った後、イエスは全身の力が抜けそうなほど落胆しました。
神様にいくら祈っても、神様は背中を向けたまま沈黙を貫いていらっしゃるように感じました。
いえ、祈りたくても言葉が出てこないのです。

あの鮮烈な神の啓示を私に生き生きと話してくれた彼は、どこへ行ったのだろう・・。
私がメシアかどうか、今頃尋ねてくる、というのなら、神様からの啓示もろくに受けられず、生きる方向を見失っているということではないだろうか・・。

すべての歯車がどうしようもない方向へと進んでいるような気がして、目の前が真っ暗になりました。
もう、ヨハネとは二度と会えないだろう・・。そして、ヨハネと親戚である私、使命の上でもつながっている私もまた、死の道へ行くしかないのだろうか・・。

何より、メシアとして人々を救うこの道をどうやって作ればいいのだろうか・・。
私はさまよう子羊のようだ・・。

頭に「死」という一文字が浮かんで離れませんでした。

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